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DAVID HOCKNEYを サーチ!サーチ!サーチ!

このポスターはロンドンのTUBE内に貼られていた↓
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ロンドンのナショナルギャラリーで1月から開かれていたデイビッド・ホックニーの展覧会について。
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個人的に非常に思い入れの強い作家DAVID HOCKNEY。彼の肖像画も風景画もフォトコラージュも全てが好きで影響を受けた。彼独特の色の使い方と濃いめの塗り方によって描かれた絵は牧歌的な風景のはずが、どこかで見た事もないような場所に変わる。


個人的に好きな作品↓ アメリカ西海岸のイメージが全て集約されたような絵画。
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中世以降脈々と受け継がれる肖像画が、現代に描かれるとこうなるという見本。
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デイヴィッド・ホックニー(David Hockney、1937年7月9日 - )は、20世紀~21世紀のイギリスの画家で、現在はアメリカ合衆国・カリフォルニア州ロサンゼルスを拠点として活動する芸術家。1960年代よりポップ・アート運動にも参加し大きな影響を与え、イギリスの20世紀の現代芸術を代表する1人である。
1937年、イギリスのブラッドフォード・ソルテアに生まれ、ブラッドフォード・カレッジ・オブ・アートに学んでいる。その後学んだロンドンのロイヤル・カレッジ・オブ・アート在学中にイギリスのポップ・アートシーンの立役者ピーター・ブレイクと共に「若手現代芸術家展(Young Comtemporaries)」に出展した。その後ポップ・アート運動に参加するものの、初期の作品はフランシス・ベーコンの作品に似た表現主義傾向を残すものであった。
1963年からはホックニーは画商ジョン・カスミンを通じて作品を発表するようになる。1963年にニューヨークを訪れ、アンディ・ウォーホールと出会う。その後1964年アメリカ合衆国カリフォルニア州を訪れ、その後そのまま長期間住むこととなるロサンゼルスで、当時まだ比較的新しい画材であったアクリル素材でプールを描いた作品群を制作することになった。1967年にはリヴァプールのウォーカー・アート・ギャラリーで開催される「ジョン・ムーアズ・リヴァプール」展で絵画賞受賞。以後もロサンゼルスを拠点に制作を続けている。彼はカリフォルニア定住以前にも以後にもしばしば世界中を旅行し、ロンドン、ニューヨーク、エジプト、中国にも長期滞在したことがある。

作品は、アメリカ西海岸の明るい陽光を感じさせる華やかな色調で、室内風景、プールのある邸宅、人物などを描いたものが多い。油彩のほかクレヨン画や、数十枚のスナップ写真を貼り合わせたフォト・コラージュの作品にも優れたものがある。また、スカラ座やメトロポリタン歌劇場などのための舞台芸術も多く手がけている。イギリスの勲章「コンパニオン・オブ・オーダー」を受勲。




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GEORG HEROLDを サーチ!サーチ!サーチ!

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ロンドンのサーチ・ギャラリーに展示されていたGEORG HEROLDの立体作品を初めて見たとき、これは「使徒」だと思った。1995年のTVアニメ エヴァンゲリオンを見て以来、私の頭に焼き付け続けられている「使徒」がついに目の前に現れた。


Untitled(2010) 120 x 420 x 165 cm
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Untitled(2010) 115 x 510 x 65 cm
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使徒がグラビアモデルかのような挑発的なポージングでこっちを見ている。ルネサンス期などのヨーロッパでは理想化された体を彫刻や絵画にしていたという。このGEORG HEROLDの作った立体作品は2010年代の理想化された「体」を作り出したのだろうか。


そう考えると、少し怖い。私たちはもう自分たちを客観的に見ることができないのかもしれない。現実の私たちが生きる世界は多くのことが歪んでいる。「体」だけにフォーカスしてみても、ピアスやタトゥーは若者のアクセサリー感覚になり、整形も咎められることはなくなった(美しくなるのなら、誰も目の切開を気にすることはなくなったような時代になった)。洋服屋の試着室にある鏡は通常よりスタイルがよく見える鏡が使われているところがある。

私たちの「体」は変わった。


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この作品のコンテキストを私なりに考えると、

1・日本のアニメーションがモチーフである(知ってか知らずかエヴァンゲリオンやSFアニメがインスパイアとして挙げられるだろう)
2・社会的側面から「体」の変化にフォーカスしている
3・先日紹介したイ・ブルとの関連性。彼女の身体を使った立体作品を更に押し広げている。
4・ポージングにプレイボーイなどのピンナップガールのイメージ
5・アンドロイドの匂い

が挙げられる。作者のGEORG HEROLDは1947年/ドイツ生まれであることから、実際にはこの作品を作った時点で彼は63歳だった。そう考えるとこの作品の見方も変わるのだが、もしこのような素直な解釈のまま作品を作っていたとするならば、何て若々しい人なのかと思った。



とにかく、私はこの作品が好きだ。オレンジの方を是非、部屋に置きたい。



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Louise Bourgeoisを サーチ!サーチ!サーチ!

彼女の有名な作品といえば六本木ヒルズにもあるMaman↓
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今回紹介するのはロンドンのテートモダンに常設されている彼女のドローイングシリーズだ。


ダーク・ユーモアというジャンルがこのセクションでは名付けられており、展示されている。
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Empty Nest(1994)
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この絵を見て思い出したのが、以前紹介したDavid Shrigley だ。


Sleeping Man(1994)
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Children In Tub(1994)
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Sculptress(1994)
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Birth(1994)
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デフォルメされた人物はどこか愛らしさを持っている。と、同時に少し近寄りがたさも醸し出す。弱々しい線は頼りなくてキャラクター達の意志が感じにくい。でも、そこが好き。座って泣いている女性はこれ以上ない程に弱々しくみえ、出産最中の女性は虚空を見つめながら新しい命を生もうとしている。喜びに溢れているわけじゃない。全てが脆く感じるように見える。




一番好きだったのがこちらの Toilette(1994)
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この絵がダーク・ユーモアを表現している気がした。女性が髪をとかしている。ただそれだけなのだが、2010年代にこの絵を見ると、日本人の私たちにとって最初に連想するのが「貞子」だろう。表情が読み取れない髪の長い女性というシチュエーションに恐怖を刷り込まれてしまった。映画の持つ力は凄い。

さりげなく窓から人が覗き込んでいるのも怖さ増幅。魅力的な女性なのかもしれない。ダーク・ユーモアはコメディの一種類で、タブーやシリアスをモチーフにしている。






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ルイーズ・ブルジョワ(Louise Bourgeois, 1911年12月25日 - 2010年5月31日)は、フランス・パリ出身のアメリカ合衆国の彫刻家である。ソルボンヌ大学で数学を学んだが美術の道を志し、エコール・デ・ボザールを含むいくつかの美術学校で学び、フェルナン・レジェのアシスタントとなる。1938年にアメリカ人の美術史家ロバート・ゴールドウォーター(1907-1973)と結婚して夫と共にアメリカに渡り、ニューヨークに暮らした。自身の少女時代からインスピレーションを受けた作品が多い。
1982年、ブルジョワが72歳のときにニューヨーク近代美術館で個展が行われ、再評価されるようになった。
また、彼女を追ったドキュメンタリー映画も制作されている。
1990年代からは巨大な蜘蛛を象ったブロンズ像 Maman を制作。この像には色々なバージョンがあり、ニューヨークのグッゲンハイム美術館、ロンドンのテート・モダン、日本でも六本木ヒルズなど世界各地に展示されている。
1993年のヴェネツィア・ビエンナーレでは、アメリカ館で展示を行った。
2010年5月31日、心臓発作のためマンハッタンで亡くなった。




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DAZED&CONFUZED 20TH ANIVERSARYを サーチ!サーチ!サーチ!

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昨年の秋にロンドンのサマセット・ハウス内で行われたのが、ロンドン発の雑誌DAZED&CONFUZED 20TH ANIVERSARYの展覧会だ。ここでは1号から最新号までの表紙のカバーや、過去20年の中のストーリーの一部が展示されていた。


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DAZED & CONFUZED - フォトグラファーのRankin (ランキン) とジャーナリスト兼編集者のJefferson Hack (ジェファーソン・ハック) が1991年に立ちあげたイギリスを代表するスタイルマガジン『Dazed & Confused (デイズド & コンフューズド)』。

Jefferson Hack↓
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RANKIN↓
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私の思春期はDAZED & CONFUZEDと共にあった。2001年には日本版も創刊され、UK版と日本版を比べ読みをしたりもした。DAZEDはファッション&カルチャーマガジンなので、音楽の紹介も中々だ。この頃に以前紹介した、DIZZEE RASCALがデビューして、DAZEDにも取り上げられたことを思い出す。

影響されたファッションスタイリストも沢山いる。KATIE GRAND、KATIE ENGLAND、HECTOR CASTRO、ROBIE SPENCER、OLIVER RIZZOなどなど、90年代後半以降にDAZEDに現れたスタイリスト達は今では大きなメゾンの専属にまで登っていった。ロンドン出身のスタイリストが世界のファッションを動かしている、と思う。彼らはロンドンのインディペンデントマガジンで鍛えられ、その後、パリ、ニューヨークへ巣立っていった。



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最後に私が今でも一番好きなファッションストーリーを紹介。NICK KNIGHT×ALEXTHANDER MCQUEENの障害を持つ人をモデルにしたストーリーだ。


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ファッションという枠を超えて、身体の表現を強く現す作品であり、人間の美しさを改めて問い直すイメージである。これを見てファッションの持つ可能性を好きになった。




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ALVARO SIZAを サーチ!サーチ!サーチ!

アルヴァロ・シザの建築
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イベレ・カマルゴ美術館(2007)
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ブラジルにあるイベレ・カマルゴ美術館が表紙に添えられた写真集「アルヴァロ・シザの建築」は、シザ氏の魅力が詰まっている。


西沢立衛氏が解説をしているが、西沢氏がいうように、シザ氏の多くの建築は白を基調としているものが多いのに、白が冷酷にならずに温かみを帯びている。ミニマルや無機質とは違った世界観を写真集からでも十分に感じることができる。このイベレ・カマルゴ美術館も角が尖っているし、白がベースなのに、洗練されていながら温もりがある。大人の建築物っていう感じだ。


もしかしたら、その要因の1つに日本とは違う気象条件があるのかもしれない、とこの写真集を見て思った。ヨーロッパやブラジルの太陽の高さと日本では全く光りの強さが違う。それがまたシザの建築と日本にある白を基調としたミニマルで無機質な建築との差を生んでいるのかもしれない。


アヴァンギャルドだったら、格好いい。とか思っていた時期が私にはある。
しかし、色々な経験を通して、大人の洗練されたものの格好よさがわかるようになってきた。アルヴァロ・シザの建築はどれもこれもが大人の余裕に満ちあふれた建築物だ。だから、今の私の気分にぴったり。


他に好きだったのが、プールの曲線が内部と外部で繋がっていて、とても美しいコルネラ・デ・ロブレガットのスポーツ・コンプレックス(2006)↓
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ゆるやかな傾斜が格好いい超巨大屋根のリスボン万博1998・ポルトガル館↓
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アルヴァロ・シザ・ヴィエイラ(Álvaro Joaquim de Melo Siza Vieira、1933年6月25日 - )はポルトガルの建築家。ポルトガル随一の国際的建築家で、ポルトガル建築界を代表する存在である。ポルトガル北部、マトジーニョス(w:Matosinhos)生まれ。北部の大都市、ポルトを拠点としている。
1955年にポルト大学建築学部を卒業。フェルナンド・ターヴォラ(Fernando Távora)の事務所で働いた後、1958年に自分の事務所を設立。ハーバード大学、ペンシルベニア大学、ローザンヌ大学(スイス)など各地の大学で教鞭をとり、現在はポルト大学建築学部教授。1992年にはプリツカー賞を受賞、2001年にはウルフ賞芸術部門を受賞している。
彼の建築はミース・ファン・デル・ローエやル・コルビュジエに影響を受けたモダニズム建築の継承者であり、直方体や有機的な曲面、彫りの深い小さな連続窓などの幾何学的な形態と、できるだけ少ない種類の材料を使ったきわめて簡潔なスタイルを有している。代表作であるポルト大学建築学部など、特にポルトガル国内の作品は白一色の建物が多く、緑の丘や荒涼とした荒野に窓の少ないシンプルで寡黙な白亜の塊が並ぶ作品はしばしば詩的と評される。
ポルト大学建築学部の同僚のフェルナンド・ターヴォラやエドゥアルド・ソウト・デ・モウラらとともに一派をなしている。彼らの作品は建設される場所の特性にインスパイアされており、その地に欠けているものを埋める建物を作ろうとしている。また建物とそこにある自然、新しいものと古くからあるもの、感覚的なものと合理的なものの間に極めて厳密な関係をもたせようとしている。
彼の作品はポルトガルを中心にスペイン、イタリア、ドイツなど各地に建てられており、それぞれの風土にあわせた表情や色彩を見せている。





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畠山直哉を サーチ!サーチ!サーチ!

以前、こちらの記事で畠山直哉氏の写真を紹介した。それ以来、この写真家の撮る写真に注目するようになる。



畠山直哉が撮るせんだいメディアテーク"UNDER CONSTRUCTION"
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ドナルド・ジャッドの作品にH鋼を思い出す時がある。だから、部材はミニマル・アートと通じることは知っている。畠山氏が撮る写真は現場にある部材を大きなスケールのアートに仕上げている。物の見方が違うことがはっきりしていた。勿論、伊東豊雄氏が設計したせんだいメディアテーク自体の作品の凄さがそれを増長させているのは間違いない。


こんなに工事現場が美しいなんて知らなかった。



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畠山 直哉(はたけやま なおや、1958年 - )は、日本の写真家。岩手県陸前高田市出身。1984年筑波大学芸術研究科修士課程修了。大辻清司の影響で写真をはじめ、大学卒業後は東京に移り活動を続ける。
生家の近くに大規模な石灰石鉱山があったことから、高校時代からこれらの採掘現場や工場を油絵などに描いていた。大学を出た後、岩手をはじめ日本各地を回り石灰石鉱山の現場や石灰工場、発破の瞬間、または都会の建築群や地下水路など、多様な光景を撮影するようになった。これらの作品は都市の原料(石灰岩、工場)から都市風景(高所から見た都市の俯瞰)、都市の解体(住宅展示場と化した大阪球場とその解体)、都市の裏側(ビルの間を流れる渋谷川や、都市の地下水路の内部)など、一貫して都市の問題にかかわっている。またイギリス滞在などを経て、工場の蒸気や車の窓ガラス一面についた水滴など、形の定かでない物、循環する物の撮影にも取り組んでいる。出版には1983年の「等高線」、1996年の「ライムワークス」「Citta in negativo」など。
1997年に写真集『ライム・ワークス』、写真展『都市のマケット』により第22回木村伊兵衛賞受賞。2001年には世界最大の国際美術展である「ヴェネツィア・ビエンナーレ」に日本代表の一人に選ばれている。同年、写真集『アンダーグラウンド』により第42回毎日芸術賞を受賞。2012年、個展『Natural Stories』で芸術選奨文部科学大臣賞受賞。





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トニー・クラッグを サーチ!サーチ!サーチ!

分泌物(1999年)
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ディテール
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こちらは95年に作られた分泌物
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サイコロの彫刻。土偶のような形にも見える。この作品の文脈としてキュビズムもあるのではないかと感じた。ジョルジョ・デ・キリコののっぺらぼうの作品も連想した。


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現代アートにはコンテキストが必要だ。村上隆氏が教えてくれたこの事実から、トニー・クラッグの分泌物という作品はアートとしての強度があるものになっているのだろう。



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トニー・クラッグ Tony Cragg 1949年、リヴァプール(イギリス)生まれ 。1977年、ロイヤル・カレッジ・オブ・アート修士修了。1988年、デュッセルドルフ芸術アカデミー教授就任、同年第43回ヴェネツィア・ビエンナーレ、イギリス館代表、同年ターナー賞受賞。現在、ヴッパタール(ドイツ)在住。
拾い集めたプラスティックの断片を床や壁面に配置した作品でよく知られているが、初期の作品から一貫して、物と物の関係性への洞察が反映された作品を発表し続けている。その対象は人工物から自然界の物まで幅広く、無機質であっても有機質であっても、形態や機能に眼を向けることで深い繋がりを見つけ出す。部分が全体となり全体が部分となってしまうような生命体的感覚を物の配置によって表現したり、物に生じる機能としての使用価値や交換価値の増減に着目して人間と物との関係をテーマにしている。 近年はとくに生命の有機的な形をコンピュータで解析し立体化した彫刻を多く発表している。科学の進化、生命や宇宙、そして人間について、あらゆる物を連続して捉えて考えることを促してくれる作家である。




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ジャン・デュビュッフェを サーチ!サーチ!サーチ!

愉快な夜(1949年)
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子供の原初的な感覚を持ち、人間の根源的な衝動が絵に現れていると思う。


この絵を見て何も感じない人はいないだろう。破綻している。お笑い番組「テベ・コンヒーロに登場した小梅大夫の一週間の紙日記」のような絵だと思う。私たちが子供の頃に描かされた絵はこのようなものだったはずだ。

絵は自由であっていい。そうあるべきだ。絵に向かう気持ちを変えるきっかけになった作品。



冬の庭@ポンピドゥセンター
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こちらの作品は部屋のようになっており、作品の中に立つことができる。


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線の岩という感覚。線の歪みが平衡感覚を失わせる。洞窟のように窪みも沢山あった。ジャクソン・ポロックとは違うベクトルの線の使い方。白い部屋に線があるだけでドラゴンボールの神の部屋を連想させた。ここは神聖な場所なのかもしれない。



ジャン・デュビュフェ(Jean Dubuffet, 1901年7月31日 - 1985年5月12日)は、20世紀のフランスの画家。アンフォルメルの先駆者と見なされ、従来の西洋美術の伝統的価値観を否定して、「生の芸術」を提唱した。
デュビュフェはフォートリエ、ヴォルスらとともに、アンフォルメル(「非定形」の意。1950年代に盛んになった前衛美術運動)の先駆者と見なされ、20世紀美術の流れをたどる上で重要な画家の一人である。彼は、若い頃にパリで絵画を学んだこともあったが、やがてワイン商をしていた父の仕事を継いだ。本格的に画家として立つことを決意したのはかなり遅く、40歳を過ぎてからのことであった。
彼は1946年、パリのルネ・ドゥルーアン画廊で「ミロボリュス・マカダム商会、厚塗り」という奇妙な題名の個展を開く。マカダムとは、道路のアスファルト舗装工法の基礎を築いた人物の名前である。実際、この個展に展示された作品群は、砂、アスファルト、ガラス片などを混入した、まるで道路の表面のような厚塗りの画面に子供の落書きのような筆致で描かれたもので、見る人を困惑させた。この「厚塗り」展は、同じ頃にドゥルーアン画廊で相次いで開かれたフォートリエの「人質(オタージュ)」展(1945年)やヴォルスの個展 (1947年) とともに、第二次大戦後の西洋美術の新たな出発を告げるとともに、アンフォルメルなどの1950年以降の新たな美術の流れの原点に位置するものと言える。
デュビュフェは従来の西洋美術の洗練された技法や様式、巨匠の名人芸といったものに価値を認めなかったばかりか、西洋文明そのものを痛烈に批判し、子供、「未開」人、精神障害者などによる絵画をアール・ブリュット=生の芸術と呼んで賛美した。彼は精神障害者らの絵画を収集し、展示したこともある。1976年、デュビュフェの蒐集した作品をベースに、スイスのローザンヌにアウトサイダー・アートの美術館であるアール・ブリュット・コレクションが開設された。1985年にパリで死去。




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Max Pechsteinを サーチ!サーチ!サーチ!

WOMEN BY THE SEA(1919)
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アカデミズムのような洗練されている絵が好きなのに、この絵を見た時に私は1時間もこの絵の前に立ち続けた。


何が気になったのだろう。


羽織をかけようとしているのは、この女性の召使いであろう。だから、この手前の女性は上流階級の家柄だ。その人が海辺でどこか憂いを帯びた表情をしている。まるで、この世に疲れてしまったかのように。奥で水浴びしている女性に注目する。全然楽しそうじゃない。影の描かれ方が怖い。この絵は実は絶望を描いているのかもしれない。


太陽に照らされ、透き通る美しさを持つ海の前で、上流階級に生まれた女性が生まれたままの姿でくつろいでいるシチュエーションは言葉にすると、とても優雅な絵を想像できる。

けれども、私の目に写るこの絵からはその明るさとは裏腹に悲しみを帯びたようにしか見えなかった。私はこの絵のコントラストに、その憂いに惹かれたのだ。



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アカデミズムのような洗練された絵が好きだった。しかし、沢山みてきたアカデミズムの上品な絵より、この絵の方が何倍も私にとって魅力的だった。なんてこの女性は美しいんだろう。憂いと悲しみを持つ裸の女性に魅力を感じた。



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Max Pechstein -(マックス・ペヒシュタイン 1881年~1955年)ドレスデンを拠点とするドイツ表現主義のグループ、ブリュッケ(Die Brücke)に1906-1912まで所属して活動した。ゴッホやマティス、フォーヴィズムの画家などに影響されながら、原始的で色彩豊かな作品スタイルを確立した。





この絵を見た場所はロンドンのサマセット・ハウス内にあるCourtauld Galleryだ。去年の12月に行ったので、サマセット・ハウスの中庭にはスケートリンクもはられていた。ちなみにここはロンドンコレクションのメイン会場にもなっている。


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コートールド・ギャラリー (Courtauld Gallery) とはロンドンのウェストミンスター地区にある美術館。厳密にはロンドン大学附属コートールド美術研究所 (Courtauld Institute of Art) の美術館でありサマセット・ハウス内に設けられている。比較的小規模なギャラリーであるが印象派や後期印象派のコレクションは非常に質が高い。



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トーマス・シュトゥルートを サーチ!サーチ!サーチ!

渋谷交差点、東京(1991年)
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視線が宙を彷徨う写真。


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私たちが見慣れている渋谷交差点だ。この交差点では毎日のように外国人観光客がこの交差点を、人混みを笑みを浮かべながら写真を撮っているところに出くわす。


私たちがこの写真を見る時に、まず、思い浮かぶことが1つある。右上手にある広告が「ホーム・アローン」だという事実だ。センター街右手の建物はツタヤもスターバックスもまだ建っていなかった。ポケベルもまだ普及していなかった頃の話だ。


この写真が撮られたのが1991年で、もうその頃から20年も経ってしまった。


この写真どこに視点を合わせてみればいいのだろうか。実際、よくわからないところである。どこに着目すればいいのか。左手の時計がある部分か。手前の談笑している女子高生グループか。その隣のサラリーマンがこの写る世界の中心人物のようにも感じられる。


この写真世界の主人公は誰でもないし、誰でもある。
それがこの写真の主題になっているのだろう。




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トーマス・シュトゥルートは1954年ドイツ・ゲルデルン生まれ。デュッセルドルフ美術アカデミーでゲハルト・リヒターに師事して絵画を専攻します。その後、写真を用いた制作へと転向しています。写真では溶鉱炉や給水塔などの写真で有名なベッヒャー夫婦に師事します。
シュトゥルートの作品はいくつかのシリーズで発表されています。初期の70年代から80年代半までの主にモノクロで欧米や日本の街の風景を大型カメラで制作した“街路”シリーズ。80年代半ばから開始された、“肖像”シリーズ、80年代後半から開始された有名な“美術館”シリーズ などです。そして90年代には自然が中心題材に取り上げられ、ヨーロッパの田園風景、花から派生して屋久島の自然などを撮影した“パラダイス” シリーズへと発展しています。2000年10月には東京国立近代美術館で初期から最新作までの仕事を約50点の代表作品が紹介される写真展が開催されました。
モチーフの作品は風景、肖像、自然、街路など特別なものではありません。彼は美しい写真、魅惑的な写真、そして世界状況が反映された個人の心理を表した作品作りを心がけているそうです。
有名な美術館シリーズでは何百年も年月を経ている名画の構図とそれを感情で捉えて観賞している観客の配置とを一緒に作品に取り込むことで古い絵画が現在に生きるようになると語っています。
彼は撮影のプロセスから出来るだけ自分の主観を取り除き、写真側から現れてくるものを発見して 見極めようとしているのです。これはベッヒャー派作家に見られる共通の作品へのアプローチです。




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POSTMODERNISMを サーチ!サーチ!サーチ!2

本日はポストモダニズム展の展示されていた展示物を紹介。


マデロン・ヴリーゼンドーブの映像作品がとてもキュートでキッチュだった。

ヴリーゼンドーブは建築家であるレム・コールハースの奥さん。



BUZZCOCKSのCDジャケット
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NEW ORDERのCDジャケット
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ロンドンの雑誌FACEのアートワーク
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流行通信も展示されていた。
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CHANELのスパンコールジャケット
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エットレ・ソットサスのサイドボード
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他には↓

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ファッションに夢中だった昔の自分を思い出して、興奮した。わかりやすい世界観。とにかく、グレース・ジョーンズに尽きる展示だったようにも思う。チェアーやサイドボードも奇抜なものばかりで、ファッションではヴェルサーチ、ジャン・ポール・ゴルチエやアズディン・アライアが奇抜な服を競って作っていた。CDのアートワークではロンドン勢が活躍、以前紹介したピーター・サヴィルやヴォーギャン・オリバーを中心に展示。華美で派手な世界、映画でいえば、スタンリー・キューブリック監督の2001年宇宙の旅の世界観をデザイン化したらこうなるのではないかと思う作品ばかりだった。

それはある面ではデコラティブすぎて、子供っぽい側面もあったように思う。でも、きっとそれが許される時代だったのだろう。これらの作品を見るだけでもこの時代がどれだけ消費の時代であったか、推測することができる。ポストモダニズムという展覧会は、私をこの時代にいざなわせてくれる展覧会だった。


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POSTMODERNISMを サーチ!サーチ!サーチ!1

ロンドンのヴィクトリア&アルバート美術館で、ポストモダニスム展が開かれたのは昨年の9月〜今年の1月までだった。

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アートのことがよくわからなくても、この時期に流行した音楽やデザインの事は少し知っていたので、この展覧会の時期にロンドンにいたことを嬉しく思う。


ポストモダン(英: Postmodern)とは、「モダン(近代)の次」という意味であり、モダニズム(近代主義)がその成立の条件を失った(と思われた)時代のこと。ポストモダニズム(Postmodernism)とは、そのような時代を背景として成立した、モダニズムを批判する文化上の運動のこと。主に哲学・思想・文学・建築の分野で用いられる語。



この展覧会はグレース・ジョーンズ×ジャン・ポール・グードのポスターが示すように、ファッション、音楽、アートに特化した展覧会だった。今日はこの展覧会で取り上げられた音楽について紹介する。


この展覧会でポストモダニズムとして流れていたPVで一番私が好きだったのは、NEW ORDERのBIZZARE LOVE TRIANGLEだ。




ギャング・オブ・フォーの音楽性は今聞いても色褪せない。




トーキング・ヘッズの格好よさはPVだけで伝わるはず。




アフリカン・バンバータのプラネット・ロックがヒップホップと宇宙が繋げた。




ロバート・スミス率いるキュアーのゴス・ロックの良さは後の日本でもヴィジュアル系が生まれたことで影響の強さがわかる。






80年代に私が魅了されているのはこのPVを見ることで理解してもらえるだろう。今の時代を嘆くのは悲しいことだけれど、この時代に思春期や青年期を迎えた人達をとても羨ましく思う。


グレース・ジョーンズがいたから黒人モデルは今でも格好いい存在なのだ。そして元夫でもあるジャン・ポール・グードのアートディレクションはこの時代で一番の輝きを見せていた。



華やかなのはPVだけの世界じゃなかったはずだ。日本もこの時代はオイルショック以降〜バブル前の時代であったわけで、ビジネスマン達がバリバリに活躍していて、元気があった頃である。世界全体が消費まっしぐらで元気一杯だった。馬鹿みたいに消費してばっかりで、無駄が沢山あった。無駄があるのはいいことだと思う。今の節約・省エネ、スローライフの時代はたまに虚しくなる。無駄の世界を知らないから、憧れがある。単純な答えだった。



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JANFAMLYを サーチ!サーチ!サーチ!

ロンドンのアーティスト集団であるJANFAMILYのPLANS FOR OTHER DAYSという写真集を始めてみたのは、2008年ぐらいだったと思う。当時とても好きな日本のアートディレクターがいて、その人の事務所に伺った時、そのADから「君は多分、JANFAMILYの世界観が好きなのではないか」と言われ、この写真集を見せられた。


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JANFAMILYというグループのことは何も知らなかった。けれども、よく調べるとそのメンバーの中に、ファッションデザイナーであるMARKIN JAN MAがいた。


びっくりした。私はマーキンの洋服を持っていた。
そして、その写真集を見た時、マーキンのパーカーを着ていたのだ。


このADはマーキンの服をきっと知らない。けれども、すぐにそれを見抜いて、この写真集を差し出したのかな、と思うとやっぱりアートディレクターになるぐらいの人は心底センスが良いのだなと思った。私の中で、そんな思い出を持ったのがこの写真集だ。


初見の印象は、BLESSの世界観と被る。だから好きになれたのかもしれない。センスの良いファッション的思考を持ったメンバーが繰り広げる身体アート。写真の雰囲気は牧歌的で、雑誌のパープルに近い世界観を持つ。当時の私の気分にぴったりだった。



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"Plans for other days"
ふとした瞬間に思った面白い事、奇妙な事、バカバカしい事。そんな事は、自分の中で収めてしまうか、友人にちょっと言って呆れられるか、苦笑されるのが関の山。取り立てて、それについて反芻することもないし、重要視もしていない。忘れてはまた思うもの。けれど、もしかすると、ヘンだと思っていた事から、本当に大切な気持ちや生活の楽しみを見つけだせるんじゃないか。誰しもが忘れてはまた思う、いらないけど必要なことを実際にやって見せてくれるのがJAN FAMILY。本書は、[How These Things Live],[You like me]に続く新作。
表紙は、メンバーの五人が後ろ姿で立って、それぞれの上着のボタンを隣の人のボタンホールにひっかけて、続けていく彼らの代表的なインスタレーション。
全224ページ、様々な「How to~」と題されたテーマに対して、回答のような写真が示されていきます。 例えば、「How to become one(ひとつになる方法)」というテーマでは、5人の男女が同時に切り株の上にのっている写真。「How to stop a time(時間を止める方法)」では、地面に落ちた枯れ葉を、もう一度木の枝にテープで貼った写真。「How to spoil(悪くする方法)」では、家の中にある植木に布を被せ、光を当てさせないで枯れさせようとする写真などなど。
子供の頃に写真の前で面白い顔をしたり、ヘンなポーズを取っていた経験のある人は多いと思います。 彼らの活動はそんな素直な感覚を肯定し、分かりやすくデザインした形で提案してくれているようです。
「How to hold hands in the dark(暗闇で手をつなぐ方法)」での、二人の男女が床に空いた二つの穴に手を入れて握手をしている姿は、砂場にトンネルを作って握手した時のようだし、「How to make room(部屋の作り方)」で、カーテンやシーツを椅子やベッドにひっかけた小さなスペースは、カーテンにくるくる巻き付いて、真っ暗な自分だけの場所を作ったことを思い出させてくれます。
懐古的でも刹那的でもなく、もっと前向きで素直な感覚を呼び起こす彼らの作品は、大人になった今でも私たちを豊かな気持ちにしてくれます。
装丁は、一見普通のハードカバー、しかし、カバーと本文のサイズはふた回りほどの差があり、見た事のない面白い装丁。ページ内には、4本のしおりが付けられていて、[Outside]、[Inside]という言葉が織り込まれてあります。
巻末には、「How to find your way」と題して、それぞれの写真で使用された物、行為、が列挙されています。あなたもこれを使ってやってみてって事なんでしょう。もう、なにからなにまで憎い。

ゲルハルト・リヒターを サーチ!サーチ!サーチ!

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去年、ロンドンのテートモダンでゲルハルト・リヒターの回顧展があったので、見に行った。彼の作品はその後、パリのポンピドゥセンターで、中之島の国立国際美術館でも出会うことになる。とにかく初めて彼の作品と向き合った10月某日のロンドンで私はとても衝撃を受けた。


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色鮮やかな死後の世界を見ていると思った。私の中で、怖い方の死後の世界=地獄は暗い闇の世界という印象があった。しかし、それはゲルハルト・リヒターが描いたアブストラクト・ペインティングで覆る。幾重にも重なる色は波を打ち、歪み、空間を切り裂き、滴っている。整然としていない。けれども、何故か整然としているようにも感じる。色も調和していないのに、調和している。


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ただ、ただ、強くて、美しい。


混ざり合う色の美しさの限界を引き出していた。私は色に魅了される。そこに描かれているのは色だけなのに、どうしてこんなに興奮するのだろう。


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回顧展だったので、リヒターが初期に作ったフォト・ペインティングや風景写真の上にアブストラクト・ペイントをミックスした写真も展示されていた。



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このロウソクの写真はアメリカのバンドSONIC YOUTHのDAYDREAM NATIONのジャケットになっている。

高校時代からソニック・ユースを沢山聞いていた。レイモンド・ペディボンのGOOは知っていたけれど、このロウソクのフォト・ペインティングがリヒターだって事は知らなかった。無知は恥ずかしい。


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ドイツ出身の彼が描くフォト・ペインティングにはこのような戦闘機をモチーフにした作品もある。圧倒された。私の中で好きな画家の一人にリヒターが挙げられるようになったきっかけの展覧会になった。




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ゲルハルト・リヒター(Gerhard Richter, 1932年2月9日 生まれ)はドイツの画家。 現在、世界で最も注目を集める重要な芸術家の1人であり、若者にも人気があり、ドイツ最高峰の画家とされている。初期の頃から製作されているフォト・ペインティングは、新聞や雑誌の写真を大きくカンバスに描き写し、画面全体をぼかした手法である。モザイクのように多くの色を並べた「カラー・チャート」、カンバス全体を灰色の絵具で塗りこめた「グレイ・ペインティング」、様々な色を折りこまれた「アブストラクト・ペインティング」、幾枚ものガラスを用いて周囲の風景の映り込む作品など、多様な表現に取り組んでいる。




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アンゼルム・キーファーを サーチ!サーチ!サーチ!

星空(1995年)
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人間の欲望全てが出し尽くされた後の世界はこんな穏やかなのか。アンゼルム・キーファーの星空という作品は私に問いかける。


彼の他の作品を一切知らなかったとしても、この絵から浮かぶ幻想的な世界に、それぞれの持つ想いを投影してしまうことだろう。


おだやかな時間がそこには流れている。それはある人にとっては、世界の終わりを暗示しているようにも見えるし、ある人には精一杯幸せを満喫して満足しているのではないのか、とも受け取ることが可能だ。この作品の根底に流れているものはきっと、神話に違いない。神話が持つ偶像性や象徴的な事柄を連想することができる。横たわる人は天使にもみえる。何にでも置き換えることができる。



経験の無知と、中途半端な芸術の蓄積のせいで最初この作品に受けた印象はピーター・ドイグと近い感性を持ったアーティストだと感じた。しかし、アンゼルム・キーファーの根底にあるものはドイツの歴史や神話、聖書だった。

この穏やかさを感じる作品が私に与えてくれたものは、ゆらぎだった。私は心のゆらぎを感じたのである。きっと、それは私が心のどこかでこの世界には終わりがあると思っているからだと思う。だから、私の心はショックを受け、ゆらいだんだ。



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アンゼルム・キーファー(Anselm Kiefer, 1945年3月8日 - )は、20世紀~21世紀のドイツの画家。戦後ドイツを代表する画家であり、ドイツの歴史、ナチス、大戦、ワーグナー、ギリシャ神話、聖書、カバラなどを題材にした作品を、下地に砂、藁(わら)、鉛などを混ぜた、巨大な画面に描き出すのが特色である。
1945年、ドイツのバーデン・ヴェルテンベルク州ドナウエッシンゲンに生まれた。はじめフライブルク大学で法律を学ぶが、のち美術に転じ、カールスルーエの大学、後にデュッセルドルフ芸術アカデミーで絵画を学び、ヨーゼフ・ボイスらに師事した。
1960年代の末からナチスを主題とした作品に取り組み、1969年にはヨーロッパ各地でナチス式敬礼をする画家自身を撮影した一連の写真作品『占領』を発表し、物議をかもした。キーファーの作品は、古代の神話からナチス・ドイツのいまわしい時代まで含めたドイツの歴史をテーマとし、第二次大戦後のドイツが忘れようと努めていた暗い過去をも白日の下にさらそうとするものだった。ボイスの下で学ぶうちに、ドイツ文化の深淵を探る一方日用品を作品に取り入れる彼の手法に影響を受けたほか、画家として先行していたゲオルグ・バゼリッツのスタイルに接近するようになった。草や藁など損傷しやすいものを絵画に使うようになったのもこの頃からである。
1980年代以降は、巨大な画面(縦横ともに3メートル以上の作品が珍しくない)に実物の藁が塗り込められ、あるいは鉛のオブジェが貼り付けられ、素材の物質性を強調した作品が多くなる。こうした作品にもワーグナーの作品名や古代の神話などにちなんだ題名が付けられ、その題名はしばしば画面に書き込まれ、作品における「主題」の重要性は失われていない。
キーファーは現代美術家の中でも作品における「主題」「意味」を特に重視する作家である。1980年前後から顕著になった、コンテンポラリー・アートにおける表現主義的傾向を「新表現主義」(Neo Expressionism)と称するが、キーファーはアメリカのジュリアン・シュナーベルらとともに、こうした傾向の代表的作家と見なされている。





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ルーチョ・フォンタナを サーチ!サーチ!サーチ!

空間概念、期待(1962年)
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ルーチョ・フォンタナのこの作品はナイフでキャンパスを切っただけである。私が初めてルーチョ・フォンタナの作品に出会ったのは、パリ市立近代美術館だった。その時に私が思った見たままの印象を述べることにしよう。


キャンパスから何かが出てきそうだ。
最初に感じた印象はそれだ。アートは自分を写す鏡だと思う。私はこの作品を見て確信する。キャンパスから何かが出てくるとして、その何かとは私の持つ不安や恐怖心だった。穴が空いたキャンパスの奥に潜む世界は私にとっては、幸せな世界ではなく恐怖の世界だった。ということは私の心は恐怖にいつも支配されていることに繋がる。何て悲しい毎日を過ごしているのだろう。しかし、それが真実なのではないか。


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この作品のタイトルは「空間概念、期待」と名付けられている。
作者はこの空間に期待しているのであろう。私とは対極的だ。期待という言葉はいかようにも解釈することが可能だが、解説文によると、「切り開かれた空間は無限の宇宙を現す」らしい。


キャンパスに囚われるな。四角い空間の先を見つけるには切り開くしかない。開けばそこにあるのは宇宙だ。


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単純明快な論理である。わかりやすい。わかりやすいって、とてもいいことだ。ただナイフで切っただけのコンセプチュアル・アートではないかと思い、通り過ぎるほど悲しいものはない。作品に込められた思いを紐解く前に、私はこの作品と共振していた。ただし、私にとっては、マイナスの無限宇宙だったけれど。



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ルーチョ・フォンタナ(Lucio Fontana, 1899年2月19日 - 1968年9月7日)は、 20世紀のイタリアの美術家、彫刻家、画家。空間主義(spazialismo)の運動の創始者。1950年代以降の「アンフォルメル」、日本の「具体美術協会」、「タシスム」、ヌーヴォ・レアリスム、1967年頃からイタリアに興った「アルテ・ポーヴェラ」(「貧しい芸術」の意)などの前衛芸術運動に様々な影響を与えた点で、20世紀美術史上重要な位置を占める作家である。また、若いイヴ・クラインとは、年齢差を越えて、お互いに共鳴しあう仲であり、イヴのミラノでの初個展ではモノクローム・ブルーの作品を購入している。



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サイ・トゥオンブリーを サーチ!サーチ!サーチ!

10 Day Wait at Magda
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解説:官能性を帯びた曲線や文字、肉や血を思わせるピンクや赤い色が現われている。絵の具はなすりつけられ、鉛筆はこすれ、時に白でうえから打ち消されている。互いに干渉しあう要素は限られたイメージへの安易な連想を拒絶し、多様なイマジネーションを喚起する。



誰にでも書けそうな絵。本当は誰にでも書けない絵。絵の自由さを獲得している。誰にでも書けそうと思わせるほど強い印象も残す。自由に描かれた線は様々なイメージを想起させる。同時に、イメージすることを全くさせない。これは凄いことなのではないか。どう捉えたらよいのかわからない作品。

技法のことをいえば、実はこれはオールオーヴァーなのではないかとも思う。画面をはみ出す線を描いている時点でその可能性はある。やはり、巧みに計算して描かれているのかもしれない。絵は一本の線から始まる。サイ・トゥオンブリーが描いたこの絵は抽象絵画の先を見ている気がする。子供の頃に私たちが持っていた自由な心を呼び起こさせる。


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サイ・トゥオンブリー(Cy Twombly、1928年4月25日 - 2011年7月5日[1])は、アメリカ合衆国バージニア州出身の画家、彫刻家。作風は時代によって大きく変化しているが、最も広く知られているのは、無彩色または彩度の低い背景に筆記体の"e"または"l"の字を続けて書いたようなカリグラフィー的な作品である。1980年代以降は、植物をモチーフに、色彩を多用した作品を制作していた。日本では、国立国際美術館(大阪府大阪市北区)、ベネッセハウス(香川県直島町)などが作品を所蔵している。また、1996年に絵画部門で高松宮殿下記念世界文化賞を受賞している。




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ロバート・スミッソンを サーチ!サーチ!サーチ!

1969年に作られたロバート・スミッソンのグルー ポアという作品を見てきた。この作品は写真による連作であり、粘性の高いタールを斜面からこぼす様を写真に残したものである。


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ロバート・スミッソン (Robert Smithson、1938年1月2日 - 1973年7月20日、アメリカ合衆国ニュージャージー州パサイック生まれ)は、アメリカ合衆国の現代美術家。ランド・アート(アースワークス)と呼ばれる美術の潮流にかかわり重要な作品を残した。
スミッソンは美術作品とその環境の関係を探り、「サイト」(site)と「ノン・サイト」(non-site)の概念を導き出した。「サイト」は特定の野外の場所に置かれた作品で、「ノン・サイト」は美術館やギャラリーなど、置ける場所ならどこにでも置ける作品を指す。スミッソンの代表作『スパイラル・ジェティ』(Spiral Jetty)はサイトの作品の代表例で、一方スミッソンには特定の場所を写した写真(空中写真など)や地図などからなる「ノン・サイト」の作品もあり、しばしば元あった場所から移動させた物(石や土など)とともに展示された。1970年に制作された『スパイラル・ジェティ』は、ユタ州のグレートソルト湖にある長さ1500フィートの土砂・岩石・塩でできた長い突堤で、先端が渦巻状になっている。制作年の湖の水位が非常に低かったため、湖の水面が元通りに上昇する年には完全に水没する。
1973年7月20日、スミッソンはテキサス州でのプロジェクト『Amarillo Ramp』の予定地を探していたときに飛行機の墜落で死亡した。彼の早すぎる死や残る作品の少なさにもかかわらず、スミッソンの作品は現在も高く評価されている。



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グルーはスライムみたいだ。80年代を通過した世代として、ゲームに対する認識が弱くても印象の強さとして残っている。うようよと流れ落ちるグルーが怪獣系アニメの変化する怪人にもみえる。

不安定で形態が安定していない作品を前にすると、鑑賞する側もどうこの作品を捉えていいのかわからなくなる。だから、じっとこの作品を見続けるしかない。グルーを人間に置き換えたりしてしまう。私たち人間はグルーのように安定しないし、簡単に落ちていくし、すべる。岩を下っていくグルーは気持ちが悪いようにもみえる。私たち人間だって、とても気持ちが悪い生き物だ。グルーは人間ではないけれど、勝手な思いが宿ってしまった。



ロバート・スミッソンが今まで作ってきた作品、概念は新しいアートの軸を切り開いた。美術館の外のアートである。

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20世紀以後、アートの拡張は著しい。



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MAN RAYを サーチ!サーチ!サーチ!

もし私が1920年代、30年代に思春期を迎えてこの作品に対峙したらどんなことを思うのだろうか。


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絵や写真を見る時に鑑賞者は必ずその作品に対して、過去の蓄積された経験を呼び起こされる。私はマン・レイの表現を見るとPHOTOSHOPの切り抜き機能と加工機能を使えば、この作品は完成するなと思ってしまった。とても安易な考え方である。この作品群は1920年代以降に出来上がったもので、ADOBE社がソフトを開発する何十年も前のことだった。改めて彼の作品と向き合ってみよう。


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次に思い出したことはこの作品がシュルレアリスムであることに着目する。幻想的でリアルではない世界。写真表現でそれを行ったマン・レイは絵以上のファンタジーを追求していたのかと感じた。絵の中のファンタジーと実際の人間/モデルを使って作り上げたファンタジーでは写真表現の方がより鮮明にリアルなファンタジーを追求できる。まるでその世界が存在するかのように。


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しかし、その世界は存在しない。存在しない世界への憧れは誰しもが持つ。それは例えば、未来への憧れだったり、過去に戻りたいなどといったノスタルジーさえ呼び覚ますだろう。



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マン・レイが撮る写真はその後に現れるヘルムート・ニュートンの色気が感じる部分もある。ロバート・メイプルソープの儚き強さも感じる。当然のことではないか。優秀な写真家は過去の写真家の作品を下敷きにすることがよくある。アニー・リーボヴィッツがインタビューで答えていた。


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1920年代のパリはなんて魅惑的なのだろう。ウディ・アレンがその時代に憧れた意味がよくわかる。シュルレアリスト達との交流はぶっ飛びすぎて、時には理解不能かもしれないけれど、第1次世界大戦と第2次世界大戦の間の世界なのだから、現実を超えた活動が現れたのもよくわかる気がする。


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彼の作品はジョン・ステザカーのようなコラージュアートの走りでもあるとも思った。


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過去を断ち切って未来に進まなければいけないのに、私たちが見る事ができる作品は過去ばかりである。過去に作られた作品を見て、過去に思いを馳せる。悔しくなるだけではないか。その時代にいたい、という欲求が湧くだけではないか。


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現代に生きる私たちのことを考える。1920年と比べてどんな変化があっただろうか。少なくとも日本は疲弊しきっている。当時の戦意高揚していたあの時代の日本と比べて疲弊している。あの時代の日本には生まれたくはない。上流階級出身でもない限り、その後に続く戦争からは逃れることはできない。しかし、今の日本もとても大きな問題を抱えている。


何故瓦礫を福島以外で燃やす必要があるのか。何故、原発を再稼働する必要があるのか。ブラックアウトはしないようにすることが可能だ。政府だって、本当はわかっている。国民の声を聞かない政府は悪き頃の日本と何も変わっていなかったのではないか。マン・レイの作品を見ると過去と現在が交錯して、色々な思いを馳せることができる。これがシュルレアリスムのマジックなのかもしれない。作品の持つ力が鑑賞者の持つ様々な感情を引き出すのだ。



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マン・レイ(Man Ray, 本名:エマニュエル・ラドニツキー Emmanuel Rudzitsky, Эммануэль Рудзицкий, 1890年8月27日 - 1976年11月18日)は、アメリカ合衆国の画家、彫刻家、写真家。ダダイストまたはシュルレアリストとして、多数のオブジェを制作したことでも知られる。レイヨグラフ、ソラリゼーションなど、さまざまな技法を駆使し、一方でストレートなポートレート(特に同時代の芸術家のポートレート)も得意とし、ファッション写真と呼べるような作品もあったりと、多種多様な写真作品群を残している。




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ドナルド・ジャッドを サーチ!サーチ!サーチ!

ドナルド・ジャッドの作品を見るとクールでいなければいけない、人生は熱くなってはいけないんだ、と言われているような気がしてくる。私だけの錯覚かもしれないけれど、作品から受ける印象は間違いなくそれだ。


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実際の彼の作品を詳しく説明してくれたものに椹木野衣さんの「反アート入門」がある。以下、抜粋↓

『ジャッドの箱は壁に取り付けられているが絵画ではなく、だからといって床に置かれるような彫刻でもない。そうした決まりごとにとらわれない「特殊な物体」なのだ。』



ジャッドを一躍有名にしたのは、1965年に発表され、以後もずっと作り続けることになる、通称「スタック」と題された連作です。


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それぞれの箱は、作家の個人的な手技や職人的な細部へのこだわりを排除するために、ひとつひとつが工業規格製品のように正確で、個体ごとの誤差は可能なかぎり排除されています。
ちなみに、このシステムで特に重要なのは「次々に」並べられるという点です。「次々に」というのですから、作家は部分と部分との関係について、造形的に考慮する必要がありません。また。それはシステムの効果にすぎませんから、全体を統括するテーマを考える必要もありません。
わたしたちは、アートというものに対し、日頃、こういう見方をすることに慣れていませんから、最初はあまりピンとこないかもしれません。でも、これに慣れると、中途半端に表現的な絵を見ると、なんだかまどろっこしく見えてくるのです。そのとき、あなたはすでにミニマル・アートならではの、エッジが鋭く、シャープきわまりない世界に引き込まれているのです。”





先日、大阪の国立国際美術館の「コレクションの誘惑」展で私は初めてドナルド・ジャッドの作品を鑑賞した↓
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地下2階のフロアではキャンバスに描かれた作品が多数並べられていた。その中で、ジャッドの作品は無機質で異彩を放っていた。壁にはかけられている。しかし、立体である。彫刻のように固い。しかし、そこに温もりはない。規則正しく並べられた作品に私はどう向き合えばいいのか戸惑った。この作品を見ていると世の中にある規則正しいもの、例えば階段は、コンセプチュアル・アート、ミニマル・アートなのかと感じてくる。階段には用途があるため、コンセプチュアルではない。概念が違う。しかし、そういった日常にある反復するような規格品に新しい意味を感じてしまう。私はその時にミニマル・アートのマジックに飲まれていることを実感するのだ。



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ドナルド・ジャッド(Donald Clarence Judd 1928年6月3日 - 1994年2月12日)は、20世紀のアメリカ合衆国の画家、彫刻家、美術家、美術評論家。当初は画家・版画家であり美術評論でも高い評価を受けたが、次第に立体作品の制作に移った。箱型など純粋な形態の立体作品は多くの美術家や建築家、デザイナーらに影響を与えている。抽象表現主義の情念の混沌とした世界の表現に反対し、その対極をめざすミニマル・アートを代表するアーティストの1人。ジャッドは、フランク・ステラがころころと作風を変えるのを見て「あいつはただの裏切り者で、ペテンだ!」と、執拗にステラを記者会見の場ですら攻撃していた。ジャッドは一度決めた作風を生涯に一度の変更すら許さない、頑固一徹の芸術家でもあった。




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Searchの本棚を サーチ!サーチ!サーチ!

2000年以降のインターネット普及によって、私たちのライフスタイルには大きな変化が現れました。好きな音楽データは買い集めて残さなくても、Youtubeにチャンネルを作ることによって、保存しておけます。見に行った展覧会の感想をこのブログのように記事にして、思い出を風化させないようにすることができます。


そんな中で私が昨日から使い始めたサービスにブクログというものがあります。
最近、読書に夢中なのでどんどん読み進めていこうと思っているので、読んだ記録として保存しています。取り上げた本は殆どが今年読んだ記録です。(今まで読んだものは忘れてしまいましたが、思い出したら少しずつ挙げていく予定)


こちらは建築家・伊東豊雄が設計した本の洞窟↓
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Searchの本棚


↑こちらが私の本棚になります。
私の記事を読んでくださっている皆様も是非フォローしてください。もし皆様の中でブクログをやっている方などがいらっしゃいましたら、皆様の本棚も是非覗かせて頂きたいと思っています。どうぞよろしくお願いします。




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「そうだ、京都に住もう」を サーチ!サーチ!サーチ!

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東京在住のフリーライター永江朗が京都に築年数不明の町家を購入。物件探しからリノベーションの設計、施工、家具選びまで、約1年にわたる二都生活のスリリングな体験記です。住むという視点から見えてくる京都の日常や、東京の暮らしとの違いなど、ヨソものから見た京暮らしの実態が明らかに!?文中に出てくる京都の名店に実際に行けるガイドも付いています。


こちら で内容を少し読むことができます。


モダンなファサード、奥行きのある部屋↓
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以前、紹介したのは永江朗さんが初めて家を建てる様子を描いた「狭くて小さいたのしい家」 でした。そこから8年後に永江さんは京都に家を買うことを決意します。建てた建築家はアトリエ・ワンの塚本さんからの紹介で河井敏明さん。


河井 敏明 / Toshi Kawai 一級建築士事務所 河井事務所 主宰 1967年 芦屋市生まれ 1993年 京都大学大学院建築学専攻修士課程修了 1994年 AA School,London 1995年 中村潔、植南草一郎、馬場徹らと建築少年設立 1999年 河井事務所設立 2005年グッドデザイン賞受賞(YANAGINOBANBA WORK-SITE)


京都新聞



京都の魅力、リノベーションの魅力、建築とは何なのだろうか?といった初心者にもわかる建築へのきっかけになる本だと思います。ビフォーアフターぐらいしか建築には興味がないという人も楽しめるし、アトリエ系建築が好きな人も元建築少年というユニットを組んでいた河井さんの思考や京都の行きつけ場所を知ることのできる本です。そして、永江さんをアトリエ・ワンに東京の家を建ててもらい、河井さんに京都の家を建ててもらうとても羨ましい方だとまた思う羽目になるでしょう。センス良すぎです。。。




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<京都に住むこと>
東京一極のライフスタイルをやめて、東京と京都という2つの都市で生活をするというのは現代に生きる私たちにとって、とても理想的なスタイルなのではないかと私は思いました。関東の外れで生まれた私は東京への憧れが最初にあって、そこで10年近く暮らしました。


高円寺に最初に住んで、しっかり高円寺文庫センターを行きつけにするようなサブカルチャーにどっぷり浸かった生活を堪能し、その後、三軒茶屋へ。そこではバー文化を学び、大人が過ごす夜を垣間みました。そして、隣の駒沢大学に引越。駒大では駒沢公園回りで優雅に過ごす大人達に触れて、のんびり過ごすライフスタイルの良さに気付き、ジョギングブームが来る前に私もジョギングを始めました。当時はそのまんま東さんが宮崎知事になる前にいつもジョギングをしていたことで有名でしたね。そして、恵比寿へ。若者のライフスタイルの中心とも呼べる場所で、恵比寿を堪能しました。全てが揃っていて、何をするにも便利な恵比寿。電車もJRと地下鉄が走っているので、どこに行くにも困らない生活。当時の私の生き方では恵比寿以上に便利な場所はありませんでした。

それから日本を後にして、ロンドンへ行きました。そこでは引越を4回もしましたが、その話はまた後日。パリにも住んでいたのですが、その話もまた後日。


原宏司が設計した京都駅↓
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私が一時帰国に選んだ場所は京都でした。ある程度の見識が深まり、大人への自覚が湧いてきた頃に京都を選んだのは必然だったのです。
「和のテーマパーク」と言われる京都。都市として世界の観光客が集まるし、大学が多くあるため、若者もいて活気もあります。京都METROというクラブがあるので、そこ1つで代官山UNITや西麻布yellowに出るような出演者を見ることができ、一乗寺 恵文社は青山ブックセンターや渋谷リブロのような品揃えでセレクト書店として申し分なしです。ジュンク堂もあるし、タワーレコードもある。JET SETというレコード屋もある。京都MEDIA SHOPは東京にあるGA GALLERYの代わりをしてくれるような建築や芸術のトークショーも行うアートスペースです。



東京に比べて街全体がコンパクトのため、刺激を追い求めるには小さいかもしれません。それでも自分で情報を選ぶ能力があればコレで十分だと思いました。何といっても、すぐに金閣寺、銀閣寺、桂離宮を見に行くことができる。築100年の町屋、長屋がちょっと歩けばすぐに見つかり、思いを馳せることができる。現代と江戸時代の間のような街に住むなんて素敵なことだと私は思ったのです。


この本でも永江さんは私と同じような感想を持っている場面が幾つもありました。50代のとてもセンスの良い方と私の考え方が近いのは嬉しくもありました。本来なら、20代、30代は無鉄砲にイケイケで超モダンな街で生活を謳歌するのが正しい姿にも思えるのですが、ひととおりそれを経験し、海外へ行って、ロンドンの煉瓦の町並み、パリの歴史的建造物と暮らす人々のライフスタイルを経験した後では、東京よりも京都での暮らしがしてみたくなったのです。そこで、東京と京都という2つの都市で家を持つスタイルを実践した永江さん体験が私がしてきた経験と偶然にも重なり、読み始めると面白いといった結論になったのでした。京都はとてもいい街だと思います。好きです、京都。


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チャーリー・カウフマンを サーチ!サーチ!サーチ!

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チャーリー・カウフマン(Charlie Kaufman, 本名: Charles Stuart Kaufman, 1958年11月1日 - )は、アメリカ合衆国の脚本家・映画プロデューサー・映画監督。奇想天外なストーリー展開で知られる。1990年代になってからテレビのコメディ・シリーズのための脚本を書くようになった。2000公開のスパイク・ジョーンズ監督作品『マルコヴィッチの穴』で長編映画の脚本を務める。この作品で英国アカデミー賞脚本賞などを受賞、アカデミー脚本賞にもノミネートされ、一躍知られるようになった。
2004年公開の『エターナル・サンシャイン』でミシェル・ゴンドリーとピエール・ビスマスと共にアカデミー脚本賞を受賞した。2008年には『脳内ニューヨーク』で映画監督デビューを果たした。




私が一番好きな脚本家/監督はチャーリー・カウフマンです。たぶん。彼が携わった作品は↓


マルコヴィッチの穴 Being John Malkovich (1999年) 製作総指揮・脚本
ヒューマン・ネイチュア Human Nature (2001年) 製作・脚本
アダプテーション Adaptation. (2002年) 製作総指揮・脚本
コンフェッション Confessions of a Dangerous Mind (2002年) 脚本
エターナル・サンシャイン Eternal Sunshine of the Spotless Mind (2004年) 製作総指揮・原案・脚本
脳内ニューヨーク Synecdoche, New York (2008年) 監督・脚本



エターナル・サンシャイン以外は全部見ました。Wikipediaにも書いてあるとおり、奇想天外なストーリーが彼の売りなのですが、全ての作品が愉快でお勧めなのですが、一番は初めて彼が監督した「脳内ニューヨーク」で間違いなし。本当にこれを観たときはぶっ飛びました。





ケイデン・コタード(フィリップ・シーモア・ホフマン)はニューヨークに住む劇作家。平凡だった彼の日常は、ある日を境に変わっていく。額を切って病院へ行けば、原因不明の病気と診断され、家族からは、自分が演出した自信満々の舞台をけなされる。夫婦仲も上手くいかず、遂には愛する妻と娘に捨てられてしまう。新しい恋人を作ろうとするも、優柔不断で逃げられて…。そんな失敗続きで、人生に嫌気がさしていた彼の元に、マッカーサー・フェロー賞(別名“天才賞”)を受賞した知らせが届く。大金と名誉を手に入れた彼は、人生をやり直そうとそのすべてを注ぎ込んだ、一世一代のプロジェクトを実行する。それは、自分の頭の中に思い描いた理想のニューヨークを本物のニューヨークの中にもう一つ作り、誰も見たことのない舞台を上演する事だった…。


というストーリーです。詳しく話すと見た事ない方に申し訳ないので、じっくりこの夢現の世界に浸ってほしいと思います。サブカルチャーがメジャーなカルチャー取り込んで、やっぱり最後はサブカルチャーの匂いがするというのが彼の作る作品の魅力だと思うのですが、映画がとても好きな人で見ていない人がいれば是非見てほしい映画なのです。週末に合わせて多くのDVDレンタルできる映画をピックアップしてみました。このまま映画ブログになるのか?という心配はご無用です。明日からはまたアートを紹介していきたいと考えています。どうぞよろしくお願いします。



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アートスクール・コンフィデンシャルを サーチ!サーチ!サーチ!




『アートスクール・コンフィデンシャル』(Art School Confidential)は、2006年に製作されたテリー・ツワイゴフ監督のブラック・コメディ。
高校を飛び出した冴えない青年のジェローム(マックス・ミンゲラ)は、ニューヨークにある小さなアートスクールへ入学する。ピカソのような芸術家を目指すジェロームにとって、アートスクールへの入学は非常に意義のあるものだった。ところが、アーティストを目指す“芸術家”たちの野心とライバル心が渦巻く美術学校の生活は、ジェロームの前に壁となって立ちはだかる。ルームメイトのヴィンス(イーサン・サプリー)は、監督気取りで自主映画制作に明け暮れているし、講師のサンディフォード(ジョン・マルコヴィッチ)はジェロームの渾身の作品に目を向けようともしない。その上、友人のバード(ジョエル・ムーア)が親交を持つOBのジミー(ジム・ブロードベント)は美術学校を卒業したにも関わらず酒びたりで無職のまま。そんな現実を目の当たりにし、ジェロームは肩を落とすのだが、ある日デッサンのモデルをしている美女オードリー(ソフィア・マイルズ)に出会い、すっかり心を奪われてしまう。しかし、当のオードリーはというと、描いた作品が講師から大絶賛され一躍校内の人気者となったジョナ(マット・キースラー)に心が傾いていてジェロームなど眼中にない様子。ジェロームは、ジョナに異常なほどの嫉妬心を持ち始めると同時に、校内の名声とオードリーの気を引くためにより一層本気になる。そんな頃、学校の敷地内で不可解な連続殺人事件が起き始めていた…。



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という映画なのですが、ジョン・マルコヴィッチが出ていれば大体、アート映画として成立します。昨日紹介したクリムトはマルコヴィッチさんが主役でした。今回もかなりキーになる役を演じられていました。ジョン・マルコヴィッチといえば、「マルコヴィッチの穴」ですよね。





ジョン・マルコヴィッチ(John Malkovich, 本名: John Gavin Malkovich, 1953年12月9日 - )は、アメリカ合衆国の俳優。1976年に友人のゲイリー・シニーズと設立したステッペンウルフ・シアター・カンパニーで数々の舞台に立ち、高い評価を得た。その後ブロードウェイでも『True West』や『セールスマンの死』などで数々の賞を受賞。1984年に映画デビュー。スクリーンでは悪役を演じることが多いが、近年ではそれ以外でも『ザッツ★マジックアワー ダメ男ハワードのステキな人生』『チェンジリング』『バーン・アフター・リーディング』『RED/レッド』と、主役・準主役を演じることもある。個性的な演技派として、世界的に活躍している。


私はマルコヴィッチさんも好きですが、この映画の脚本家のチャーリー・カウフマンがそれ以上に大好きで虜です。チャーリー・カウフマンについては今度取り上げます。アートスクール・コンフィデンシャルですが、私もロンドンの某芸大でヌードクロッキーを初めて描きました。初めて描いたヌードが外国人女性であったことは、今思い返すととても不思議な気分です。日本の芸術大学って、普段どんなキャンパスライフを生徒さんは送っているのでしょうか?「ハチミツとクローバー」みたいなゆるやかなグループ形成とかあったりするのかな?
私も美術の勉強を授業を通じて習って、悩んで、色んなことを諦めたり、持ち直したりしてみたい!そう思わせるサブカル系映画でした。



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映画「クリムト」を サーチ!サーチ!サーチ!

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ストーリー:1918年、グスタフ・クリムト(ジョン・マルコヴィッチ)は脳卒中で倒れ、病院に運ばれる。稀代の画家を見舞うのは弟子のエゴン・シーレ(ニコライ・キンスキー)だけ。混濁(こんだく)した意識の中、彼は自らの人生を回想していた。1900年、保守的なウィーンでクリムトの描く裸婦はスキャンダルとなったが、パリでは絶賛され……。





グスタフ・クリムト(Gustav Klimt, 1862年7月14日 - 1918年2月6日)は、帝政オーストリアの画家。生涯結婚はしなかったものの多くのモデルと愛人関係にあり、非嫡出子の存在も多数判明している。著名な愛人はエミーリエ・フレーゲであり、最期の言葉も「エミーリエを呼んでくれ」であった。エミーリエはクリムトの死後にクリムトと交わした手紙を全て処分し生涯独身を貫いている。
<作風>
女性の裸体、妊婦、セックスなど、赤裸々で官能的なテーマを描くクリムトの作品は、甘美で妖艶なエロスと同時に、常に死の香りが感じられる(若い娘の遺体を描いた作品もある)。また、「ファム・ファタル」(宿命の女)というのも多用されたテーマである。『接吻』に代表される、いわゆる「黄金の時代」の作品には金箔が多用され、絢爛な雰囲気を醸し出している。(琳派の影響も指摘される)クリムトはかなりの数の風景画も残している。殊にアッター湖付近の風景を好んで描いた。正四角形のカンバスを愛用し、平面的、装飾的でありながら静穏で、同時にどことなく不安感をもたらすものである。



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クリムトの接吻まだ見た事がないのです。有名な作家さんって、どうしてもその作品をよく知らないくせに、なんだか見る気がしないなと斜めな気持ちが若い頃によくありました。年を重ねるとともに、そんなささくれだった恥ずかしい気持ちは勿論なくなっていくのですが、そのため私はまだクリムトの凄さを理解していなかったし、見る機会を自分で失っていたのだと思います。
しかし、ジョン・マルコヴィッチが主役を務めるこの映画を見たら最後。クリムト見に行かなければ。。。ダリ美術館に行くよりもよっぽど重要なことじゃないかと、思ったのでありました。ウィーン分離派を牽引した一人でもあるクリムトに改めて注目するのでした。



ウィーン分離派(-ぶんりは, Wiener Secession, Sezession)は、 1897年にウィーンで画家グスタフ・クリムトを中心に結成された新しい造形表現を主張する芸術家のグループ。セセッション、ゼツェッシオンともいう。ウィーン分離派の活動はアーツ・アンド・クラフツ、アール・ヌーヴォーなどに影響を受け、モダンデザインへの道を切り拓いた。クリムトに見られるように世紀末の官能的、退廃的な雰囲気も漂わせている。


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何で画家の人達って、最後に壊れてしまうのか、モディリアーニも壊れたし、ユトリロも壊れて、報われたアートライフを過ごしたクリムトも壊れてしまった。本当にアーティストでい続けることは困難なことなんだろうなといつも感じました。



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ビューティフル・ルーザーズを サーチ!サーチ!サーチ!





日本って本当に便利な国でレンタルDVDでアートのある側面を知る事ができ、きっかけを作ってくれるんです。ありがとう、ツタヤ。というわけで、今日紹介するDVDは映画「ビューティフル・ルーザーズ」。
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舞台は90年代のアメリカ。スケートボード、サーフィン、パンク、ヒップホップ、グラフィティ…、自分たちの好きな音楽や遊びで時間を潰すために、ストリートに集まる若者たち。時間と体力をもてあまし、世間ではLOSERS(落ちこぼれ)のレッテルを貼られている彼らを変えたもの、それが「創作」である。彼らを創作へと駆り立てたのは、アーロン・ローズ。NYに小さなギャラリー「ALLEGED(アレッジド)」(1992~2002)を構え、退屈している彼らに創作の場を与えた。そこに集まったメンバーに共通していたのは、美術教育を受けていないこと。

キーワードは「D.I.Y(Do it yourself)」の精神。自分たちで作品を作り、自分たちで展示をし、自分たちでネットワークを広げてムーブメントを作り上げていく「手作り」の心だ。

アレッジドギャラリーに集まったメンバーは、以下の通りである。もはや芸術の域に達する華麗な滑りを見せるスケートボード界の寵児マーク・ゴンザレス、X-girlのアートワークや映画『Thumbsucker(サムサッカー)』の監督などで知られるマイク・ミルズ、先日ワタリウム美術館で一大個展を行ったグラフィティアーティスト、バリー・マッギー、伝説の映画『KIDS』、『ガンモ』、近作では『ミスター・ロンリー』を手がけた鬼才ハーモニー・コリン、映画『ヴァージン・スーサイズ』のタイトルバックやストリートブランドSTUSSYやBURTONのイラスト、PEPSIの全米キャンペーンを手がけるジェフ・マクフェドリッジ。
その他、トーマス・キャンベル、シェパード・フェイリー、ジョー・ジャクソン、エド・テンプルトン、クリス・ジョハンソン、マーガレット・キルガレン、クレア・ロハス、スティーブン・パワーズ、マニー・マーク。もちろん当時はまったく無名の彼ら。その後の各界での活躍を見れば、このムーブメントが与えた衝撃の大きさがお分かりいただけるだろう。



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マニー・マークはビースティ・ボーイズの第4のメンバーとしても有名ですよね。

RIP…MCA…


マイク・ミルズのサム・サッカー



マーク・ゴンザレス。




映画の内容は要はアカデミックな授業を受けなかった人達がただ、ただ自分の軌跡を語る映画です。グラフィティ熱は日本にはもうあまりないものかもしれません。昨日のバスキアこと SAMO のようにそれでも世間に何かを表現したくて、壁にスプレーする人達はこれからも現れることでしょう。特に何かを得られる映画ではなくて、ただただその空気を感じて流してみる映画かもしれないけれど、十代の頃の気持ちを思い起こしたいときに見るといいかもしれません。青いって、恥ずかしいけど、いいよね。



最後に日本のグラフィティライターの映像を紹介↓



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バスキアを サーチ!サーチ!サーチ!

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ジャン=ミシェル・バスキア(Jean-Michel Basquiat、1960年12月22日 - 1988年8月12日)はニューヨーク市ブルックリンで生まれたアメリカの画家。グラフィティ・アートをモチーフにした作品で知られるが、グラフィティとの関係はあまりない。苗字の発音はフランス語の名前なので本来は語尾の t は発音されないが、地元のニューヨークではそのまま英語発音でバスキアットと呼ばれることがある。ハイチ系アメリカ人。

プエルトリコ系移民の母親と、ハイチ系移民の父親の間に生まれ、幼い頃から絵を描き、芸術的な活動をするように母親から奨励されていた。17歳の頃から地下鉄、スラム街地区の壁などにスプレーペインティングを始める。活動を続けるうちに高校を中退したバスキアは、Tシャツやポストカードを売りながら生計を立てていた。徐々に彼の描いたスプレーペインティングは評価され、キース・ヘリング、バーバラ・クルーガーの助力でニューヨークで個展を開くようになった。また、絵の中に描かれる王冠は彼のトレードマークとなっている。一時結成していたノイズバンド「GRAY」の名は交通事故のさい母親が病室に持ち込んだ本が由来している。
1983年にはアンディ・ウォーホールと知り合い、作品を共同制作するようにもなる。1987年のウォーホールの死まで2人の互いに刺激しあう関係は続いたが、バスキアは徐々にヘロインなどの薬物依存症に陥り、妄想癖が見られるようになった。
1988年、薬物依存により27歳で死去。





ジュリアン・シュナーベルが監督した「バスキア」は高校生の頃に既に見ていたのですが、ドキュメンタリーの「バスキアのすべて」はDVDで今回初めてみました。



アンディ・ウォーホール×バスキア
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Andy Warhol and Jean-Michel Basquiat


モナリザなコンテキスト↓
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これは意識していないかもしれませんが、具体美術教会の会長「吉原治良」の作品とイメージが一緒です。
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バスキアが売れる理由には正当性があります。それは彼が現代アートの文脈に正統に乗っ取った作品を作り続けていたからです。彼の作品は元になるインスパイアされた過去の美術作品を下敷きにして彼の出自でもあるアフリカンアートのテイストが加わります。

若いアーティストの苦悩はわかることはないけれど、私が憧れた80年代を駆け抜けた彼をとても羨ましく思います。みんなファクトリーに出入りしたくて、ヴェルベッド・アンダーグラウンドのみならず、最近読んだ本で知ったのが、あの建築家のレム・コールハース」もファクトリーにいたそうです。バスキアはその中でもお気に入り中のお気に入り。


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ドラッグで身を滅ぼすなんてバカげているし、ドラッグはほどほどにすればいいのにといつも思います。そしてバスキアも27歳で死去した。みんな27歳の悪魔に飲まれ過ぎです。

詳しくはこちらの記事へ。

ブライアン・ジョーンズ、ジミ・ヘンドリックス、ジャニス・ジョップリン、ジム・モリソン、カート・コバーン、最近ではエイミー・ワインハウスが仲間入りしました。バスキアも例に漏れず。。。


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というわけで、バスキアのDVD紹介でした。ジュリアン・シュナーベルのバスキアでは、デイビッド・ボウイのアンディ・ウォーホールが似ていてよかったです。そちらもおすすめ。




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イサム・ノグチを サーチ!サーチ!サーチ!

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このDVDを見ました。



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イサム・ノグチ(Isamu Noguchi、日本名:野口 勇、1904年11月17日 - 1988年12月30日)はアメリカ合衆国ロサンゼルス生まれの彫刻家、画家、インテリアデザイナー、造園家・作庭家、舞台芸術家。日系アメリカ人である。父は愛知県生まれの日本の詩人で慶應義塾大学教授の野口米次郎、母はアメリカの作家で教師のレオニー・ギルモア。

1918年、母の意思で単身で米国へ送られ、インディアナ州ローリング・プレーリーのインターラーケン校に7月入学、8月同校閉鎖。エドワード・ラムリーが父親代わりとなり、C・マック宅に寄宿し、ラ・ポート高校に通学。
1922年トップの成績で高校卒業。卒業写真に残したイサムの言葉。「大統領になるよりも、ぼくは、真実こそを追求する。」
彼の胸に母が植えつけた願望、「アーティストになりたい。」というイサムのために、ラムリーはスタンフォード在住の彫刻家、ガッツォン・ボーグラムに助手として預けた。しかし、初めからうまがあわなかった。
1923年ニューヨークへ移り、コロンビア大学医学部に入学し、日本より帰米してきた母と暮らすようになる。医学部に在籍しつつレオナルド・ダ・ヴィンチ美術学校の夜間の彫刻クラスに通いはじめる。入学してすぐに初の個展を開催。ナショナル・スカルプチャー協会の会員に選ばれ、ナショナル・アカデミー・オブ・デザインに出品する。美術学校の校長、オノリオ・ルオットロに彫刻に専念することを勧められる。

1927年、グッゲンハイム奨学金を獲得し、パリに留学。半年間、オーギュスト・ロダンの弟子である彫刻家コンスタンティン・ブランクーシに師事しアシスタントをつとめ、夜間の美術学校に通う。
1928年に奨学金の延長が認められずニューヨークに戻り、アトリエを構える。翌年、個展を開く。1930年から1931年にかけてパリを経由し日本へ旅立つ。
1935年、在米日本人芸術家の国吉康雄、石垣栄太郎、野田英夫らと共にニューヨークの「邦人美術展」に出品。
1941年、第二次世界大戦勃発に伴い、在米日系人の強制収容が行われた際に自らアリゾナ州の「日系人強制収容所」に志願拘留された。しかし、アメリカ人との混血ということでアメリカ側のスパイとの噂がたち、日本人社会から冷遇された為、自ら収容所からの出所を希望するも今度は日本人であるとして出所はできなかった。彼は後に芸術家仲間フランク・ロイド・ライトらの嘆願書により出所、その後はニューヨークのグリニッジ・ヴィレッジにアトリエを構えた。
1947年、ジョージ・ネルソンの依頼で「ノグチ・テーブル」をデザイン・制作するなどインテリアデザインの作品に手を染める。

1950年来日。三越で個展を開く。丹下健三、谷口吉郎、アントニン・レーモンドらと知己になる。
1951年、リーダーズダイジェスト東京支社の庭園の仕事の依頼を受け来日。当時の岐阜市長の依頼で岐阜提灯をモチーフにした「あかり(Akari)」シリーズのデザインを開始。同年、山口淑子(李香蘭)と結婚(1955年に離婚)。鎌倉の北大路魯山人に陶芸を学び素焼きの作品制作に没頭。この頃に魯山人の邸宅敷地内にアトリエ兼住まいも構えた。
同年、広島平和記念公園のモニュメント(慰霊碑)にノグチのデザインが選ばれたが、原爆を落としたアメリカの人間であるとの理由で選考に外れた。しかし彼のデザインの一部は、平和公園にある丹下健三設計の「原爆慰霊碑」に生かされている(丹下はこのプロジェクトにノグチの起用を推挙した)。また、戦災復興都市計画に伴い計画され、平和公園の東西両端に位置する平和大橋・西平和大橋のデザインは、ノグチの手によるものである。彼は後年、アメリカ大統領の慰霊碑を設計したこともあるが、こちらは日系であるとの理由で却下された。
1969年、シアトル美術館に彫刻作品『黒い太陽』を設置。東京国立近代美術館のために『門』を設置。この年、ユネスコ庭園への作品素材に香川県庵治町・牟礼町(現・高松市)で産出される花崗岩庵治石を使ったことをきっかけに牟礼町にアトリエを構え、「あかり(Akari)」シリーズを発表。ここを日本での制作本拠とし、アメリカでの本拠・ニューヨークとの往来をしながら作品制作を行う。

1988年、勲三等瑞宝章を受勲する。札幌市のモエレ沼公園の計画に取り組む。これは公園全体を一つの彫刻に見立てた「最大」の作品であったが、その完成を見ることなく同年12月30日、心不全によりニューヨーク大学病院で死去。84歳。母レオニーの命日に1日だけ先んじ、その天命をまっとうした。




まさかの「知ってるつもり?!」のイサム・ノグチ特集↓




20世紀のロダンと言われたイサムさん。当然、ロダンの弟子であるブランクーシに師事していたのだから、その遺伝子的には正統なものであります。やはり、イサムさんも1920年代のゴールデンエイジ(黄金時代)にパリに行っているんです。この時にブランクーシに会うわけですが。彼の芸術仲間に建築家のフランク・ロイド・ライトがいて、盟友に丹下健三がいて、そして不倫相手はメキシコのフリーダ・カーロ。とても凄いコミュニティ。



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"Pilon" 以前紹介したソル・ルウィットの立方体はここから来ているのかな、なんて。
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from 大阪万博
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磨き上げられた不思議な形をした石。しかし、誰が見ても美しく、普遍な形態を持っているようにみえます。これがこの石のあるべき姿なのではないかと思うほど、石のゴールをみることができます。こんな風に石を操ることができたら。。。石という物体は不思議だなと感じます。たかが石を磨いたり、削ったりするだけで、格好いい物体に生まれ変わる。手を加えなくても最初から荘厳な石だった沢山ある。ストーン・ヘンジだって、モアイ像だって、地球には多くの石がそびえたっています。佇んでいます。イサム・ノグチさんに見つけられた石はその形に変化を加えられ、新しい物体として私たちの前に現れ、私たちに新しい美の定義を与えてくれました。私も近々、実際のイサムさんの作品を見に行ってみようと思います。




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フリーダ・カーロを サーチ!サーチ!サーチ!

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マグダレーナ・カルメン・フリーダ・カーロ・イ・カルデロン(Magdalena Carmen Frida Kahlo y Calderón、1907年7月6日 - 1954年7月13日)は、メキシコの画家。
コヨアカンの出身。ドイツ系ユダヤ人[1]移民でルーマニア・オラデア出身の写真技師の父・ヴィルヘルム(メキシコ移住後は対応するスペイン語名のギジェルモに改名)とメキシコ先住民の血を引く母・マティルデの間に生まれた。6歳の時にポリオに罹患して右足が不自由になる。また二分脊椎症を患っていた。更に1925年9月17日、乗っていたバスが路面電車と衝突し、肩の脱臼、肋骨・鎖骨・背骨・骨盤の骨折、右足の粉砕骨折など瀕死の重傷を負った。入院中に絵を独学で学び、ディエゴ・リベラにその才能を認められ、1929年8月21日にリベラと結婚。しかしリベラとフリーダ双方の浮気(フリーダはバイセクシュアルであった)や、バス事故の後遺症に伴う流産などが重なって1939年に離婚するが翌年復縁し、以降は怪我の後遺症に苦しみながら創作活動を行う。ヨーロッパ的な感性にインスピレーションを得、知的かつ特徴的な独自のシュルレアリスムは、フランスのシュルレアリストに高く評価された。
メキシコで最も有名な画家の1人で、特にイサム・ノグチやレフ・トロツキーとの不倫など、その奔放な恋愛遍歴は、メキシコやラテンアメリカの女性の理想像の1つとされ、何度か映画化されている。メキシコ共産党員でもあり、居室にヨシフ・スターリンの肖像を掲げて暮らしていた。




DVDの「フリーダ」というフリーダ・カーロの人生が描かれた映画を見ました。





ロンドンの某芸大の授業でフリーダについてディスカッションをする授業がありました。私は当時フリーダの事を全然知らなくて、とても困りました。そしてこの映画を見て、フリーダのバックボーンを知ったのです。昨日紹介したウディ・アレン監督が描いた1920年代が舞台のお話。まさにゴールデン・エイジにフリーダは活躍をして、実際にフランスのシュルレアリスト達に彼女は認められます。作品のおどろおどろしさは私個人では好みではないですが、フリーダの背景を知るとこの作品であった理由もみえてくるのです。



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非常に癖がありますよね。メキシカンらしい明るい色使いよりも暗さが目にとても焼き付きます。


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映画ではとてもアクの強い女性として描かれたフリーダさん。やはり、メキシカンだけあってラテンの強さを持っていたことは確実だし、何よりスゴイと思ったのが、20年代にしてバイセクシャルであったこと、トロツキー、イサムノグチと不倫をしていたことに驚きを隠せませんでした。英雄色を好むはこの場合フリーダにもあてはまりそうです。いや、一説には夫の浮気も原因ではあるから一概にはいえませんが。。。



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ミッドナイト・イン・パリを サーチ!サーチ!サーチ!

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『ミッドナイト・イン・パリ』 (Midnight in Paris) は、2011年のロマンティック・コメディ映画。ウディ・アレンが脚本と監督を務め、第84回アカデミー賞で脚本賞を受賞した。


映画脚本家で処女小説の執筆に悪戦苦闘中のギル・ペンダー (オーウェン・ウィルソン) は婚約者のイネス (レイチェル・マクアダムス) とその裕福な両親とともにパリを訪れる。ギルはパリに住みたいとさえ考えているが、イネスはマリブに住むと言って聞いてくれない。2人はイネスの友人ポール (マイケル・シーン) と遭遇し、ともに街を回る。イネスはポールを気に入っているものの、彼が偉そうに語る歴史や芸術の薀蓄には間違いが多く、インテリぶったポールがギルにはどうにも鼻持ちならない。

ある夜の12時、ギルは酒に酔ったままパリの街をうろついていると、アンティークカーが止まり、車中の1920年代風の格好をした男女がギルを誘う。そして向かったパーティには、コール・ポーター、F・スコット・フィッツジェラルドと妻ゼルダがいた。そのパーティはジャン・コクトーのパーティだった。そこでギルは、彼が愛して止まない1920年代に来ていたことに気づく。その後、フィッツジェラルド夫妻、ポーター夫妻と行ったクラブでは、ジョセフィン・ベイカーもいた。その後に、フィッツジェラルド夫妻と飲みに入ったバーでは、アーネスト・ヘミングウェイと出会う。ヘミングウェイに自分の小説を読んでくれないかともちかけたギルだったが、ヘミングウェイに「自分は読みたくないが、代わりにガートルード・スタインを紹介しよう」と言われ、舞い上がる。

次の夜、イネスを一緒に誘うが、真夜中になる前にイネスは「疲れた」と帰ってしまう。彼女が帰るやいなや、夜中の12時の鐘が鳴り、古いプジョーが現れた。今度はヘミングウェイが乗っていた。彼と一緒にスタインの家へ行くと、今度はそこにパブロ・ピカソとその愛人、アドリアナがいた。スタインはピカソとピカソの描いたアドリアナの肖像画について論議をかわしていた。そこで初めてアドリアナに会ったギルは、一目惚れしてしまう。
現代と1920年代を行き来しながら、婚約者イネスとの関係とアドリアナに魅かれる自分に悩むギル。しかし、シュルレアリストである、サルバドール・ダリ(エイドリアン・ブロディ)、ルイス・ブニュエルとマン・レイからは、「それはごく自然なことだ」と言われてしまう。








本日観てきました。ウディ・アレン監督作品は大人の嗜好品です。とにかくハッピーなコメディでした。先日まで住んでいたパリの街角や観光スポットを映像を観ながら思いを馳せ、そして映画に没入しはじめると、なんとウディ監督にとっての「黄金時代」1920年代にタイムスリップ。
出てくる登場人物はあの頃のシュルレアリストやヘミングウェイ、フィッツジェラルド夫妻など作家達。ウディが恋焦がれた20年代に主人公をワープさせて恋愛までさせちゃいました。


こんな夢みたいな20年代を観ていると、過去に囚われてしまうのがとてもわかります。どんな人でも必ず「あの頃はよかった」って、思う瞬間ってあると思います。私たちはいつも「あの頃」に生きているといっても過言じゃないほど、よく「それぞれのあの頃」を振り返ります。

ウディや主人公にとっては20年代、ピカソの愛人だったアドリアナにとってはベル・エポックの時代、ベル・エポックに生きる、エドガー・ドガやゴーギャンにとってはルネサンス期。。。私にとっては1980年代がそれにあたります。いつの時代の人達も今その瞬間を生きている自分の時代の事を憂いているのです。そんなのってあんまりだけれど、確かにそうだよな。。。と思いました。だって、私もそうなんですから。


みなさんもよかったらこの映画を見てパリに浸って、軽快なコメディのウディ節を堪能してください。ウディ映画はどれもおすすめなのですが、個人的に好きな作品は「さよなら、さよならハリウッド」と「スコルピオンの恋まじない」がお気に入りです。とはいって、ほとんど全部好きなんです。ウディおじいちゃんが亡くなる前に是非とも彼の作品を沢山の人に気付いてもらって楽しんでもらえるといいですね!




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サーチです。
サブカルチャーに憧れた思春期を過ごし、ロンドンの某芸術大学の門をたたく。その後、メジャーとサブカルの両方をこよなく愛するように。世界中のアート、音楽、ファッションをちょっぴりサブカルの視点から紹介します。アートは若葉マークにつきご注意下さい。

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