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東本願寺を サーチ!サーチ!サーチ!

前回の記事で京都に少し触れましたが、京都の東本願寺に行ったお話をします。


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東本願寺(ひがしほんがんじ、Higashi Hongan-ji)は、京都府京都市下京区烏丸七条にある真宗大谷派の本山としての礼拝施設の通称である。正式名称は、「真宗本廟」である。堀川七条に位置する「西本願寺」(正式名称「本願寺」)の東に位置するため、「東本願寺」と通称される。また、真宗大谷派(以降、大谷派)としても、「東本願寺」の通称を公式ホームページ・出版物などに用い、正式名称「真宗本廟」と併用している。他に、「お東」、「お東さん」とも通称される。2011年現在の門首は、平成8年(1996年)に継承した大谷暢顯(淨如)である。

御影堂は、境内のほぼ中心に位置する和様の道場形式の堂宇である。屋根は瓦葺きの重層入母屋造。外観が二重屋根であるため二層建築に見えるが、下部は裳階であり単層建築である。建築規模は、間口76m・奥行き58mであり、建築面積において世界最大の木造建築物である。現在の建物は、明治13年(1880年)に起工し、明治28年(1895年)の完成である。平成16年(2004年)3月から平成21年(2008年)12月にかけて、大規模修復が行われた。総工費は、約98億円である。堂内は、「内陣」・「外陣」・「参拝席」に分かれている。内陣は横に7つの室に分かれていて、中央の間を「内陣本間」と呼ぶ。「内陣本間」側から、左側の余間を「十字の間」・「九字の間」・「飛檐の間」と呼び、同じく右側の余間を「六軸の間」・「新六軸の間」・「御簾の間」と呼ぶ。
「内陣本間」の中央に須弥壇上を設け、その上に「御厨子」を置き「御真影」(宗祖親鸞の坐像)を安置する。「内陣本間」の左右壇上には歴代門首の絵像が奉掛される。

平時は、「十字の間」の床(とこ)上の中央に「十字名号」(帰命尽十方無碍光如来)を奉掛し、その両脇に宗祖親鸞と現門首を除く「大谷派御歴代」の絵像を二幅に分けて奉掛する。「九字の間」の床上には、「九字名号」(南無不可思議光如来)が奉掛される。報恩講などの法要時は、奉掛される絵像やその配置などが変更になる。かつては「大師堂」と呼ばれた。その由来は、明治9年(1876年)に明治天皇から親鸞に対して「見真大師」の大師諡号が贈られたためである。昭和56年(1981年)に「宗憲」が改正された際、「見真大師」号が削除され、同時に大師堂の呼称が取りやめられ、御影堂の呼称に復した。



視聴覚ホールの裏側にはこんな立派な広場があります。息をのむような美しい佇まい↓
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私が一番見たかったのは実は視聴覚ホールでした↓
東1


東2
東本願寺の歴史を知る事ができる視聴覚ホールが地下にあるのですが、こちらの室内はモダンでここが東本願寺境内とは思えないほどなのです。モダンと歴史の融合を感じる異世界。


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やっぱり日本といえば京都だよなと実感する想いです。外国で沢山の建築に触れたからこそ、もう1度京都や日本の良さを知る話は沢山あると思いますが、私もまさにその気持ちがよくわかりました。高校生の頃に連れられた修学旅行では京都の良さよりも、クラスメイトの誰々の事なんて話の方が盛り上がってしまうのは当然でした。その時その時のシチュエーション、マインドでその場所の印象はまるっきり変わってしまうのです。


さて、東本願寺の別館のホールではバカボンド、スラムダンクで有名な井上雄彦さんが描く日本画「親鸞」が屏風に飾られていました↓
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親鸞(しんらん、1173年 - 1262年)は、鎌倉時代前半から中期にかけての日本の僧。浄土真宗の宗祖とされる。法然の専修念仏の教えに触れ、入門を決意する。これを機に法然より、「綽空」(しゃっくう)の名を与えられる。親鸞は研鑽を積み、しだいに法然に高く評価されるようになる。

浄土真宗の祖師親鸞は、承安3年(1173年)に当時中級貴族であった日野有範の子として生まれた。治承5年(1181年)、9歳のときに出家して、延暦寺の青蓮院慈円の門下にはいり、堂僧をつとめた。
法然を師と仰いでからの生涯に渡り、「法然によって明らかにされた浄土往生を説く真実の教え」を継承し、さらに高めて行く事に力を注いだ。自らが開宗する意志は無かったと考えられる。独自の寺院を持つ事はせず、各地につつましい念仏道場を設けて教化する形をとる。親鸞の念仏集団の隆盛が、既成の仏教教団や浄土宗他派からの攻撃を受けるなどする中で、宗派としての教義の相違が明確となり、親鸞の没後に宗旨として確立される事になる。浄土真宗の立教開宗の年は、『顕浄土真実教行証文類』(以下、『教行信証』)が完成した寛元5年(1247年)とされるが、定められたのは親鸞の没後である。



実際はこちらの2枚が展示されています↓親鸞さまで1枚、民衆たちで1枚です。
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親鸞の絵が会場の左側、右側にはこの多くの人が渦巻いている絵が飾られていました。どちらの絵にも感じたのが「不気味さ」でした。バカボンドを読んだことがある方ならおわかりのこのタッチはまさしく井上先生以外何ものでもありません。井上先生って、漫画家なのに日本画の歴史を引き継ぐ人のような扱いになるのかなと感じたりもしました。マンガやアニメーションがアートと密接な関係になっていくというのは私達の時代の特色です。50年後、100年後にはこれらのメディアも含めてアートという括りの中に入っていくのでしょうか。50年後は私もまだギリギリ生きていそうなので、様子を見守りたいところです。



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サーチです。
サブカルチャーに憧れた思春期を過ごし、ロンドンの某芸術大学の門をたたく。その後、メジャーとサブカルの両方をこよなく愛するように。世界中のアート、音楽、ファッションをちょっぴりサブカルの視点から紹介します。アートは若葉マークにつきご注意下さい。

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