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常設展@東京都国立近代美術館を サーチ!サーチ!サーチ!2

続いて、3Fの展示と2Fの展示を合わせて紹介します。3Fの入口横に現れたのは清宮質文の「はかなきものの強さ」と名付けられた版画のフロアです。


清宮質文は大正6年に生まれた。画家を志し、昭和12年に東京美術学校(現在の東京藝術大学美術学部)油画科に入学。創作活動を始めたのは昭和28年。清宮が手がけたのは、木版画であった。版画としては多い8~10刷を重ね、色合いに深みを出している。透明感の高い水彩絵具を使うことで、はかない印象を与えている。


ふるさとの歌
ふるさと


悲しみの顔
悲しみの


さまよう蝶
さまよう


すぎゆくもの
すぎゆくもの



抽象的な細い線の人物は見れば見るほど不思議な気持ちを呼び起こします。最初に思い出したのは古谷実の漫画「ヒミズ」あたりに出てくる何だかわからない悪い心の中の怪獣みたいなものが描かれた時のキャラクターを思い出しました。だから、ちょっとこの絵を見て怖いと思ったのも事実です。しかし、よく観察すると、ぬ~ぼ~のような温かさをこの世界観に感じてくるようになる。「はかなきものの強さ」がここに描かれているというのはこのことなのかな、じっくり観察するのが楽しい版画。絵本にも通じる寓話の世界。



小出楢重(こいで ならしげ、1887年10月13日 - 1931年2月13日)は、大正~昭和初期の洋画家。

裸女と白布 1929年
11424757-1.jpg

裸女は私が最も好きな対象物です。やはりヌードが絵画の基本にあるというのはいつまでも変わらないものであり、私自身もその刷り込みが消えることはありません。しかし、女性の画家が女性のヌードを描くというのはあまり聞いたことがない。そんなことを絵を見ながら思いました。



松本竣介 幼少時代を盛岡で過ごす。銀行を経営する裕福な家に育ち、小学校随一の秀才だった。エンジニア志望だったが、盛岡中学在学中の13歳の時に聴覚を失い、絵画を志した。上京して太平洋画会研究所に学び、二科展に出品し、前衛的な活動をしていたグループに属した。太平洋戦争期には戦争絵画へ向かう画壇の傾向に反対を表明し、新人画会を結成。戦後は再び制作に没頭できるようになったが、戦時中の疲労や栄養不良がたたり、36歳の若さで亡くなってしまう。

Y市の橋 1943年
MatsumotoShunsuke.jpg
横浜市の月見橋を描いた作品。


香月 泰男(かづき やすお、1911年10月25日 - 1974年3月8日)は山口県大津郡三隅町(現・長門市)出身の画家。

告別 1958年
香月


こちらの絵は闇金ウシジマくんでおなじみの真鍋昌平が描いた映画化された漫画「スマグラー」の絵と同じだと思いました。真鍋氏にも影響を与えたのかなと想像したのです。(勿論、勝手な推測)



河原温(かわら おん、1933年1月2日 - )は、日本出身の美術家。コンセプチュアル・アートの第一人者として国際的にきわめて高い評価を受けており、日本出身の現代美術家のなかで世界的にもっとも著名な1人である。

先日、紹介した映画「ハーブ&ドロシー」にも河原さんの名前は出てきました。その河原さんの初期の作品↓

孕んだ女 1954年
Kawara.jpg

非常に怖い作品。断片的な体のパーツは何を意味しているのでしょう。のぞまない子供を孕んだという意味だったのでしょうか。中絶反対を訴えたのでしょうか?「不安」を感じる絵は人の心を揺さぶります。



昨日も紹介した山口長男 ー 転 1961年
04Yamaguchi.jpg

これは凄かった。同時代ではポロックがいる時の頃なので、やはりマーク・ロスコあたりと近い空気感を感じます。


ウィレム・デ・クーニング(Willem de Kooning, 1904年4月24日 - 1997年3月19日)は、20世紀のオランダ出身の画家。主にアメリカで活動した。抽象表現主義の画家で、具象とも抽象ともつかない表現と激しい筆触が特色である。デ・クーニングは、ジャクソン・ポロックと並ぶ「アクション・ペインティング」の代表的作家であり、抽象表現主義の創始者の一人として、20世紀美術史の上に重要な位置を占める。

風景の中の女 1966年
DSC_0165.jpg

まさかデ・クーニングの「女」シリーズをこのタイミングで見る事ができるとは思わなかったです。この抽象っぷりゾクゾクしました。赤の使い方がまるで血のようにも見え、怖かった。女への憎しみなのでしょうか。



岡本 太郎(おかもと たろう、1911年(明治44年)2月26日 - 1996年(平成8年)1月7日)は、日本の芸術家。血液型はO型。1929年(昭和4年)から1940年(昭和15年)までフランスで過ごし、抽象美術運動やシュルレアリスム運動と直接関わった。第二次世界大戦後、日本で積極的に絵画・立体作品を制作するかたわら、縄文時代や沖縄のプリミティブな美術を再評価するなど、文筆活動も精力的に行った。雑誌やテレビなどのメディアにも積極的に出演した。

燃える人 1955年
s0045016.jpg

みんな大好きな太郎さんの作品。太郎さんは何よりも絵が力強い。線が強い。太郎さんの意思の強さが絵に出ていると思います。



堂本右美は1960年フランス・パリ生まれ、1985年に多摩美術大学絵画科(油絵専攻)を卒業。1987年にアメリカ・ニューヨークのクーパーユニオンファインアートを卒業。1991年にニューヨークのハンターカレッジ大学院を中退、1993年にギャラリー ムカイで個展(1995年から1998年と2000年も)を開いた。

Kanashi-11 2004年
堂本


この作品は2Fにあった展示物です。1900年代初頭の作品を4Fで見て、2000年代の作品を最後の2Fで見る。その間、100年もあります。100年分の現代絵画の進歩を目の当たりにするわけです。この抽象表現も震える思いで見ました。何でこうなるのか理解できなかったから。でも、それでもこの変な線で描かれた模様が気になる。上手な絵だなと感じました。


常設展は多くの絵が年代毎に展示されているから、1つ1つの作品に関連性は少なくバラバラです。ですので、紹介も非常にしづらい。デ・クーニングの「女」だけで1つの記事が書けるだけに、サッとこのように紹介するのは惜しいのですが、行ったこと、見たことを記憶するために取り上げました。機会があるときは作家さんを1人ずつじっくり向き合う記事も書きたいとおもっています。




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続いて、3Fの展示と2Fの展示を合わせて紹介します。3Fの入口横に現れたのは清宮質文の「はかなきものの強さ」と名付けられた版画のフロアです。清宮質文は大正6年に生まれた。画...

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サーチです。
サブカルチャーに憧れた思春期を過ごし、ロンドンの某芸術大学の門をたたく。その後、メジャーとサブカルの両方をこよなく愛するように。世界中のアート、音楽、ファッションをちょっぴりサブカルの視点から紹介します。アートは若葉マークにつきご注意下さい。

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