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イサム・ノグチを サーチ!サーチ!サーチ!

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イサム・ノグチ(Isamu Noguchi、日本名:野口 勇、1904年11月17日 - 1988年12月30日)はアメリカ合衆国ロサンゼルス生まれの彫刻家、画家、インテリアデザイナー、造園家・作庭家、舞台芸術家。日系アメリカ人である。父は愛知県生まれの日本の詩人で慶應義塾大学教授の野口米次郎、母はアメリカの作家で教師のレオニー・ギルモア。

1918年、母の意思で単身で米国へ送られ、インディアナ州ローリング・プレーリーのインターラーケン校に7月入学、8月同校閉鎖。エドワード・ラムリーが父親代わりとなり、C・マック宅に寄宿し、ラ・ポート高校に通学。
1922年トップの成績で高校卒業。卒業写真に残したイサムの言葉。「大統領になるよりも、ぼくは、真実こそを追求する。」
彼の胸に母が植えつけた願望、「アーティストになりたい。」というイサムのために、ラムリーはスタンフォード在住の彫刻家、ガッツォン・ボーグラムに助手として預けた。しかし、初めからうまがあわなかった。
1923年ニューヨークへ移り、コロンビア大学医学部に入学し、日本より帰米してきた母と暮らすようになる。医学部に在籍しつつレオナルド・ダ・ヴィンチ美術学校の夜間の彫刻クラスに通いはじめる。入学してすぐに初の個展を開催。ナショナル・スカルプチャー協会の会員に選ばれ、ナショナル・アカデミー・オブ・デザインに出品する。美術学校の校長、オノリオ・ルオットロに彫刻に専念することを勧められる。

1927年、グッゲンハイム奨学金を獲得し、パリに留学。半年間、オーギュスト・ロダンの弟子である彫刻家コンスタンティン・ブランクーシに師事しアシスタントをつとめ、夜間の美術学校に通う。
1928年に奨学金の延長が認められずニューヨークに戻り、アトリエを構える。翌年、個展を開く。1930年から1931年にかけてパリを経由し日本へ旅立つ。
1935年、在米日本人芸術家の国吉康雄、石垣栄太郎、野田英夫らと共にニューヨークの「邦人美術展」に出品。
1941年、第二次世界大戦勃発に伴い、在米日系人の強制収容が行われた際に自らアリゾナ州の「日系人強制収容所」に志願拘留された。しかし、アメリカ人との混血ということでアメリカ側のスパイとの噂がたち、日本人社会から冷遇された為、自ら収容所からの出所を希望するも今度は日本人であるとして出所はできなかった。彼は後に芸術家仲間フランク・ロイド・ライトらの嘆願書により出所、その後はニューヨークのグリニッジ・ヴィレッジにアトリエを構えた。
1947年、ジョージ・ネルソンの依頼で「ノグチ・テーブル」をデザイン・制作するなどインテリアデザインの作品に手を染める。

1950年来日。三越で個展を開く。丹下健三、谷口吉郎、アントニン・レーモンドらと知己になる。
1951年、リーダーズダイジェスト東京支社の庭園の仕事の依頼を受け来日。当時の岐阜市長の依頼で岐阜提灯をモチーフにした「あかり(Akari)」シリーズのデザインを開始。同年、山口淑子(李香蘭)と結婚(1955年に離婚)。鎌倉の北大路魯山人に陶芸を学び素焼きの作品制作に没頭。この頃に魯山人の邸宅敷地内にアトリエ兼住まいも構えた。
同年、広島平和記念公園のモニュメント(慰霊碑)にノグチのデザインが選ばれたが、原爆を落としたアメリカの人間であるとの理由で選考に外れた。しかし彼のデザインの一部は、平和公園にある丹下健三設計の「原爆慰霊碑」に生かされている(丹下はこのプロジェクトにノグチの起用を推挙した)。また、戦災復興都市計画に伴い計画され、平和公園の東西両端に位置する平和大橋・西平和大橋のデザインは、ノグチの手によるものである。彼は後年、アメリカ大統領の慰霊碑を設計したこともあるが、こちらは日系であるとの理由で却下された。
1969年、シアトル美術館に彫刻作品『黒い太陽』を設置。東京国立近代美術館のために『門』を設置。この年、ユネスコ庭園への作品素材に香川県庵治町・牟礼町(現・高松市)で産出される花崗岩庵治石を使ったことをきっかけに牟礼町にアトリエを構え、「あかり(Akari)」シリーズを発表。ここを日本での制作本拠とし、アメリカでの本拠・ニューヨークとの往来をしながら作品制作を行う。

1988年、勲三等瑞宝章を受勲する。札幌市のモエレ沼公園の計画に取り組む。これは公園全体を一つの彫刻に見立てた「最大」の作品であったが、その完成を見ることなく同年12月30日、心不全によりニューヨーク大学病院で死去。84歳。母レオニーの命日に1日だけ先んじ、その天命をまっとうした。




まさかの「知ってるつもり?!」のイサム・ノグチ特集↓




20世紀のロダンと言われたイサムさん。当然、ロダンの弟子であるブランクーシに師事していたのだから、その遺伝子的には正統なものであります。やはり、イサムさんも1920年代のゴールデンエイジ(黄金時代)にパリに行っているんです。この時にブランクーシに会うわけですが。彼の芸術仲間に建築家のフランク・ロイド・ライトがいて、盟友に丹下健三がいて、そして不倫相手はメキシコのフリーダ・カーロ。とても凄いコミュニティ。



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"Pilon" 以前紹介したソル・ルウィットの立方体はここから来ているのかな、なんて。
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from 大阪万博
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磨き上げられた不思議な形をした石。しかし、誰が見ても美しく、普遍な形態を持っているようにみえます。これがこの石のあるべき姿なのではないかと思うほど、石のゴールをみることができます。こんな風に石を操ることができたら。。。石という物体は不思議だなと感じます。たかが石を磨いたり、削ったりするだけで、格好いい物体に生まれ変わる。手を加えなくても最初から荘厳な石だった沢山ある。ストーン・ヘンジだって、モアイ像だって、地球には多くの石がそびえたっています。佇んでいます。イサム・ノグチさんに見つけられた石はその形に変化を加えられ、新しい物体として私たちの前に現れ、私たちに新しい美の定義を与えてくれました。私も近々、実際のイサムさんの作品を見に行ってみようと思います。




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サブカルチャーに憧れた思春期を過ごし、ロンドンの某芸術大学の門をたたく。その後、メジャーとサブカルの両方をこよなく愛するように。世界中のアート、音楽、ファッションをちょっぴりサブカルの視点から紹介します。アートは若葉マークにつきご注意下さい。

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