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19世紀 ロマン派からポスト印象派まで:進化する世紀を サーチ!サーチ!サーチ!

フランソワ・フラマン "1802年マルメゾン宮殿でのパーティ" 1894年

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アンリ・ファンタン=ラトゥール "水の妖精ナイアス" 1896年

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アンリ・ジャン・テオドール・ファンタン=ラトゥール(Henri Jean Théodore Fantin-Latour, 1836年1月14日 - 1904年8月25日)は、フランスの画家、リトグラフの版画家。ファンタン=ラトゥールはフランス、ローヌ=アルプ地域圏のグルノーブルに生まれ、パリのエコール・デ・ボザールで絵を学んだ。
1876年、画家仲間だったヴィクトリア・デュブールと結婚。以後、夏になるとバス・ノルマンディー地域圏オルヌ県Buréにあった妻の家族の田舎の邸宅で過ごし、その場所でファンタン=ラトゥールは亡くなった。遺体はパリのモンパルナス墓地に埋葬された。
ファンタン=ラトゥールの作品でよく知られているのは、静物画、花の絵、友人の画家・作家たちのグループ肖像画、クラシックの大作曲家たちの作品を描いた精巧なリトグラフ などである。
ファンタン=ラトゥールをイギリスに紹介したのは、ジェームズ・マクニール・ホイッスラーだった。
ファンタン=ラトゥールの絵の1つは現在250万USドルする。



ポール・シニャック "マルセイユ港" 1906年-1907年

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ポール・ヴィクトール・ジュール・シニャック(Paul Victor Jules Signac, 1863年11月11日 - 1935年8月15日)は、19世紀~20世紀のフランスの画家。ジョルジュ・スーラと並ぶ、新印象派の代表的画家。
1863年、パリに生まれる。最初は建築を学んでいたが、18歳の時に絵画に転向した。1886年の第8回(つまり最後の)印象派展にスーラとともに出品している。この年の印象派展には、スーラの代表作『グランド・ジャット島の日曜日の午後』が出品されていた。シニャックはスーラから大きな影響を受けているが、彼の点描画は、筆触がスーラのそれよりも長く、2人の画風は微妙に異なっている。海を愛し、自らもヨットを操縦したシニャックは、当時まだひなびた漁村であったサントロペに居を構え、海辺や港の風景、ヨットなどを好んで描いた。
シニャックは、理論家タイプで無口なスーラとは対照的に、話し好きで陽気な性格であった。気難しい性格だったフィンセント・ファン・ゴッホとも争いを起こす事もなく、アルルでの共同生活には応じなかったものの、ゴーギャンとの衝突の末に片耳を切った事件の直後には見舞いにも行っている。寡黙で自ら多く語らず、しかも短命だったスーラに代わり、新印象派の理論を世に知らしめた点でもシニャックの功績は大きい。また、知人でモデルにもなったフェリックス・フェネオン(新印象派の命名者)と共に、シニャックは政治的には無政府主義者であった。
1935年に敗血症のため没し、ペール・ラシェーズ墓地に埋葬された。




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サーチです。
サブカルチャーに憧れた思春期を過ごし、ロンドンの某芸術大学の門をたたく。その後、メジャーとサブカルの両方をこよなく愛するように。世界中のアート、音楽、ファッションをちょっぴりサブカルの視点から紹介します。アートは若葉マークにつきご注意下さい。

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