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対話する時間@世田谷美術館を サーチ!サーチ!サーチ!2

ロバート・ラウシェンバーグの絵画作品の隣に並べられていたのが、加納光於さんの作品でした。

page02_10.jpg
*実際の作品とは違う画像ですが、このようなテイストのリトグラフ作品が展示されていました。

加納光於 - 1933年東京生まれ、病弱のため十代後半を療養生活ですごす。家庭でフランス近代詩を耽読したことで言葉に対する感性が磨かれたようである。これは、のちの作品タイトルに如実に表れている。生物学者の助手を勤め、微生物の形態に引かれ銅版画を独学ではじめる。1953年ごろに瀧口修造を知り、1956年タケミヤ画廊(東京)で初個展。以後内外の版画展に参加する。加納の制作の特徴のひとつが「連作」である。ある期間ひとつの手法による作品を多数制作し、ある時点でその成果を発表すると、また新たな方向を模索し始める。そして最大の特徴が、素材と作品の関係の探求である。版の素材として使用していた亜鉛合金を1964年よりガス・バーナーで焼いて版そのものを作品とした『MIRROR 33』と、『ソルダード・ブルー』の連作で新しい技法による作品を開拓し、1966年『半島状の!』シリーズから後期ルドンのように色彩が加わった。

1969年ころから函形立体のオブジェ作品を制作。版画のほうもコラージュやフロッタージュを援用していっそう多様な展開をみせ、画集形式で発表した『葡萄弾-遍在方位について』(1973)と『PTOLEMAIOS SYSTEM 翼・揺れる黄緯へ』(1977)はその成果である。1976年よりデカルコマニーを利用したリトグラフ連作『稲妻捕り』に没頭、その完成後一転して油彩画に興味をむけ1980年油彩画のはじめての作品群を個展『胸壁にて』として発表した。戦後日本美術思潮の孤高の先導者の一人。



現代の社会では、PHOTOSHOPのおかげで色の組合せが無限に(それもいとも簡単に)挑戦することができましたが、加納さんが活躍していた時代にこのような抽象表現の作品があったということは、凄く素敵だなと思いました。多分、フラワームーブメントの頃と作品がリンクしてそう、、、なんて考えてみたりもしました。鮮やかな色彩って、凄く元気が出るから魅力的です。



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サーチです。
サブカルチャーに憧れた思春期を過ごし、ロンドンの某芸術大学の門をたたく。その後、メジャーとサブカルの両方をこよなく愛するように。世界中のアート、音楽、ファッションをちょっぴりサブカルの視点から紹介します。アートは若葉マークにつきご注意下さい。

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